前日の雨が止み、最近のホテルの朝食バイキングは美味しく質が良く色々取り過ぎた。
複雑な国道の合流地点の立体的な中山道を過ぎると、さっそく壁のような塩尻峠のかなり
急坂のヒルクライムだ。
車も登る舗装路といえど、傾斜がキツ過ぎて途中から降りて自転車を押した。
油断していたいきなりの難所だったが、下りは楽でやっと塩尻宿に到着した。
洗馬宿を過ぎ
本山宿ではトンネル工事の真っ最中であったが、
贄川宿を過ぎて進む。
私は江戸時代の人々の中山道を正しく走る事が目的の自転車旅行なので、このブログは
民俗学、歴史学の考証はメンドクサく学者ではないのでありません。ただ、旧道を道中をすると日本に散らばる歴史の意味が繋がりを持ち始め、新たな私独自の発見があったりもします。
それが楽しみだったりもします。
前回は車で夜でしたが昼間に来たのは初めてです。
日本の原郷的な江戸時代の街並みの中の、蕎麦屋で昼食にしました。
そばも美味しく五平餅は小判形ではなく、丸い形でしたが色々な形があるとのことでしたがごまダレが旨い。
山道はちょっと見物の観光客も居るが、ここは欧米的な方が多く女性の方が多い。
ほぼヤングな方ではないですが、コンニチワと挨拶をしてくれるので三度笠、甚平姿の未来三度笠も日本語と英語で挨拶をし続けました。
この先も中山道の中で道中の外国の女性と遭遇したが、かつて女人街道とも言われた中山道らしい
現象だと思った。
クマよけに点在して設置されている鐘を鳴らしながら、鳥居峠の頂上のログハウス休憩所で一休みをした。
少しは自転車も走りやすかったが、
ここの一里塚にSLが展示されていた。
宮ノ越宿に着くと木曽義仲の記述が多くなり、この辺は5月でも雪で白く美しい南アルプスが目の前にそびえる。
中央本線の原野駅付近にある、中山道中間点の看板は江戸と京都のど真ん中と言う事である。
今日の宿はこの中間の地で体を休めて明日から、後半戦が始まるのだ。
晩飯にイノシシの焼き肉を食べた。やや臭みがあるが豚より噛み応えがあり旨味も強かった。
イノシシのとんかつが食べたいと思った。
これでバッチリ栄養補給したので、明日は猪突猛進的に中山道の山岳ダートを駆け上がれるぞ。