未来三度笠の道中ブログ

未来三度笠が道中をします。

日光街道 自転車旅 未来三度笠 令和元年八月 宇都宮宿~日光東照宮 4日目 完走

 


東海道五十三次 京街道五十七次 1 自転車旅 未来三度笠 日本橋~保土ヶ谷宿  令和2年1月2020年

今日で日光道中の最終日に相応しい、暑いが綺麗に晴れ渡った青空だった。

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徳次郎宿を過ぎ、次の大沢宿に杉並木進呈碑がある。松平正綱東照宮に杉並木を

寄進し植樹した事による。


イギリス 道中記 自転車旅行 エディンバラ・グラスゴー 1 一等列車とレンタル自転車で未来三度笠の道中記

しかし未来三度笠のイギリス初上陸の地のエディンバラ

女性冒険家イザベラ・バートはかつて、日光東照宮へ寄進されたこの杉並木は

幕府の財政節約のようだと言って、あまり評価をしてはいなかったそうだ。

日光東照宮の豪華絢爛さなどは、評価したバート女史だが。

この膨大な杉並木の苗木は、全て紀伊半島から運んで植樹をした。

その理由は日光東照宮への遠大な参道の寄進と造成という、日本の歴史の本質を、

当時としては知日的なバート女史でも、理解するには至らなかった模様だ。

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 お江戸東京でも見かけることの少なくなった、トンボが8月の日光で飛んでいた。

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旧道旅の長所は、車両の排気ガスや振動や騒音が少なく落ち着いて道中が出来る事だ。

日光街道のこの辺は杉並木の保全の為に、車両通行止めで一応安心な道だ。

旧道の道中は朝夕の通勤帰宅時間は抜け道代わりに、旧道の狭い道を飛ばして走る、

自動車には毎度、注意が必要だ。

未舗装の区間も現れたが大した事は無い、すれ違うサイクリストは多かったが

挨拶をする者がここ十年位で激減したが、ネットではサイクリスト同士で

妙な噂をしていたりして、すっかり陰険でキモくなった。

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車両の走る場所は渋滞をしていた、この日は休日だったのですり抜ける。

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この状況はいきなりドアを開けられそうで、用心してすり抜けるしかない。

栃木は観光スポットとして、不人気との結果が先日のニュースでありました。

未来三度笠は最近は栃木の観光地としての良さを、見直しています。

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東武日光駅周辺を過ぎてさらに日光街道を登り、2年前に東武鉄道スペーシアで行った

がその時は、改装工事中で外観を全体的に養生して見えなかった日光東照宮へ向かう。

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徒歩でこちらの神橋を渡り、遂に日光街道の道中を完走した。

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ブログ的にも引っ越しをしてやっと、1年と2か月後に日光道中記が完走しました。

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一部改装の養生が残っていたが、改装して綺麗な東照宮を遂に見る事が出来た。

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三猿の見ざる言わざる聞かざる。

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左甚五郎作 眠り猫

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五街道の道中の、日光街道道中記は日光東照宮で完走です。

しかし、その日はあまりにもサイクリング日和だったので、輪行で帰らずにカッとなって

衝動的にあたりにあった、渡良瀬渓谷R122に道中をしてしまった。

実は足尾の宿を予約したが出来なかったので、のざらし野宿で行くことに決めた夏の日。f:id:miraisandogasa:20201029092707j:plain

足尾方面に渡良瀬川沿いのR122を走り

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この後は寝袋も無くカッパで防寒をして野宿をした。翌日は小雨になったので

そのままま行田宿への道中となり、風が語り掛けます、うまい、うますぎる十万石饅頭と初めてゼリーフライを食べたが、名前の由来はおからを小判(ゼニー、ゼリー)型に揚げたおからコロッケで好みの味だ。

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お江戸に帰宅をした未来三度笠は、野宿が原因で夏風邪を引いた。

伊豆などと違い夏の栃木の夜は寒かったが、今では良い思い出だ。

日光街道 自転車旅 未来三度笠 令和元年八月 野木宿~宇都宮宿 3日目


東海道五十三次 京街道五十七次 1 自転車旅 未来三度笠 日本橋~保土ヶ谷宿  令和2年1月2020年

2020年1月東海道五十三次京街道五十七次その他の

未来三度笠の道Tubeもご覧ください。

 

さて、ブログに戻りますがこの道中記は2019年8月の五街道の道中記です。

輪行で昼に到着した野木駅の野木宿から道中を再開した。

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移動速度の速い自転車道中では、史跡が発見し難い間々田宿であった。

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間々田宿で昼食にした。あっさり和風な美味しさだった。

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 小山宿まで国道4号線日光街道を直進して旧道の日光街道に進行する。

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小山宿で天下分け目の、関ヶ原の軍議を徳川家康がした日本の重大な歴史の転換期を

知らずに旧道を通過した。軍議した小山評定碑は現代の国道4号線の近く。

次の新田宿(しんでんじゅく)の道中は住宅街の狭い道となる。

喜沢の一里塚は、事前に知らないと史跡とは気が付かない。

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新田宿は、五街道の中では最新式の石灯籠が配備されていた。未来三度傘というか

未来石灯籠のハイテク新田宿だった。

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しかし、ここは国道4号線と旧日光街道の同じルートはずなのに、奥州道中との表示が

あるののだが、奥州街道との合流地点は宇都宮宿ではないのか?良く分からない。

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謎のまま、小金井宿の小金井一里塚に到着。

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石橋宿は、グリム通りの石橋駅がゲルマンな感じの宿場です。

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雀宮宿は場所が分かり易い、脇本陣がありましたので見落とさずに済んだ。

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そして奥州街道との合流地点の宇都宮宿に到着をした。

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相変わらず走行距離を延ばすことには興味の無い、未来三度笠の道中なのでこの日は

予定道理に、宇都宮宿で泊まる事となった。


その約一年後の2020年奥州街道中をする事となったが、投稿動画は未完のままである。

興味を持つ事が多くて、未来三度笠は広げ過ぎた風呂敷きを畳めなくタイプだと

自覚した。

 未来三度笠の近況

初めてユーチューバーデビューで忙しかったので、ブロガーはお休みしていました。

まずは日光街道の道中の前にユーチューバーになった?感想を述べよう。

未来三度笠のユーチューブは初めての事多く大変時間が掛かり過ぎて

本来の目的の道中をする暇も無くなり、もはやユーチューブとリスナー(?)

の為に作っている状態である。

その見返りなど期待も出来ず、そもそも地味な五街道の道中記系の動画の再生回数は

レベルの高い道中系の他の投稿動画でも、低再生回数がほとんどだ。

私の投稿は不人気で、再生回数が伸びないのでもう作らない予定である。

でもユーチューブへの投稿は、気が向いたらするつもりである。

私の動画制作レベルでは内容を濃くするのは難しくメンドクサイので、道中記はブログにした方が良いと分かった。

日光街道2019年8月の道中記の続きを今、現在の2020年10月に再開をします。

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前回の古河宿の先の野木宿に輪行で到着して、日光道中記を再開する。

 

日光街道 自転車旅 未来三度笠 令和元年八月 草加宿~野木宿 2日目

 

ここから日光道中の続きです。

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今回は草加宿から再開だ、札場河岸公園から草加松原綾瀬川沿いに江戸時代の雰囲気を残している。

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草加は歴史も残さないで煎餅だけと思ってましたが、こんな凄い浮世絵に見られる立派な太鼓橋が矢立橋、百代橋の二つもある高レベルな粋な町とは江戸っ子でも知らなかった。

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外環の高架下を潜ると壁画があり芭蕉奥の細道の絵だった。

創作の古の旅人ではなく、リアルな旅人の松尾芭蕉にとっての本陣は代表作の奥の細道なのだろう。

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越谷宿は通過するだけで、粕壁宿に入ると商店街のシャッターがほとんどが浮世絵の街だった。

場所が本来は春日部市なので、クヨンしんちゃんネタがあるかと思うが全くありません江戸時代押しの街だ。

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杉戸宿に入る未来三度笠は江戸時代みたいに道中にお茶屋で休憩してみたかったのだが、道中のお茶屋を発見したので一服してみた。

創業は明治からで、メニューは今風を選択したが、なかなか美味かった。

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杉戸宿の高札場があった。

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日光街道沿いは七夕の飾りがあったが、今は8月なので良く分からなまま幸手宿になる。

此方も七夕飾りがあり、幸手宿は今の道中の日光御成街道が合流する。

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中川を過ぎて国道4号から江戸時代の日光街道の道走り途中で権現川沿いにを走りまた江戸時代の日光街道に左折して分岐する所に栗橋ナントカ劇場があったので、俺の風のように通過した。

栗橋関所跡付近の利根川橋あたりは工事が盛大で利根川を渡り難い。

利根川を渡ると中田宿であるが、直ぐに古河宿になった。サイクル野郎の未来三度笠にはコガ・ミヤタのイメージが湧くが

古河宿との関係があるのだろうか?

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左折して入る横町は茶屋口と言い、将軍や大名が交流したり宿泊や休憩をする古賀藩主の茶屋町。それにつけても最近見ない、お菓子なおぢさんが牢獄?に居ました。スマホ歩きとトラブったらしい?

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古河宿の道は車がスピードを出せないように障害物のある、珍しい車道が印象的だった。 

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野木宿に入り今回は此処まで。

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この続きを1年以上放置していますね。ブログ移動記念に更新します!

日光街道 自転車旅 未来三度笠 令和元年八月 日本橋~草加宿 1日目

www.youtube.com

 

矢継ぎ早やに甲州道中の次は、日光街道二十一次の道中の始まりである。

もちろん江戸時代の日光道中ルートを、ネットで正しく調べた道中記です。

未来三度笠が真夏の日本橋に着くといつもと勝手が違う、東京2020オリンピックの五輪マークのオブジェが設置されていた。その後すぐに撤去されてオブジェは2020年10月の現在は日本青年館に展示されている。

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これは日光道中の金メダルマンに未来三度笠が、なるしかないという事だろうか。

日本橋から北へコロコロっと軽快にタイヤを転がし、コレド(これ江戸の略か?)という建物へ右折して高速下は通れないので迂回して小伝馬町、大伝馬町、馬喰という馬の使用方法の流れの町名を過ぎて、

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神田川から隅田川に流れ込む直前架かる浅草橋を渡った。

蔵前から駒形はおもちゃの町で、バンダイ本社ビル前は日光道中の旅人に向かって駈けるア〇パンマンや様々なキャラクターの列が

白くゆがんで真っ赤に燃えて、ジェットストリームアタックを仕掛けて来た。

未来三度笠はニュルンと、駒形のどぜうのように躱した。

駒形橋のたもとには駒形堂。願いが叶うと駒の型を作り堂内に奉納する。

ちなみにバンダイ成功の元の、ガンダムを運ぶ白馬ことホワイトベースは木馬とよく連呼されている。

雷門こと風雷神門に到着をしたが、益々観光客が溢れかえり過ぎレベル。

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日本堤になり泪橋日光街道と商店街を挟んで並走する道に、ヘアサロン的にスネオヘアーを靡かせる、あしたのジョー像がある。

南千住駅手前で線路を横断する為に、えぐり込むように登るべし。江戸時代の小塚原刑場跡、ずばりな名前の骨道りの先が

国道四号線の素戔雄神社となります。

千住大橋を渡ると足立市場があるが江戸時代もずっとやっちゃば通リだ。

ここに街道沿いよく見かける松尾芭蕉奥の細道矢立ての碑。芭蕉のお付きの人が前回の甲州街道上諏訪に眠っていたと後で知った。

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千住一里塚を過ぎるが暑いので冷たいものが欲しいので、コンビニでガリガリ君を見たが未来三度笠には北千住キャラのゴリポンくんのパクリにしか見えずアイスは辞めて、店内ドリップのアイスコーヒーにして残りの氷をボリボリ食べ熱中症対策に

アイシングしたここは千住宿だ。

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荒川の千住新橋を越えるが、江戸っ子の未来三度笠には何時も橋が長い荒川が千住大橋で、隅田川が千住新橋じゃねえか?と思っていたが、今回の日光道中で歴史的な橋の建設時期の経緯が

その名の由来だと納得した。

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橋を越えたら左に降りて国道4号線と別れ、梅島駅という古風なイメージのガードを抜けて毛長川直前で右に曲がり

国道4号を横断して毛長川を越えると、草加宿に到着するがこのあたりは足立区なんだか草加市なんだか入交まくってる。

草加せんべいが有名であるが、おせんさん伝説は諸説あるが草加は今まで煎餅だけしかないイメージだったが

昔はかなり栄えた宿場だったと今回見直した。

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草加宿の無料休憩所の神明庵で休憩をして、大変のどが渇くので冷たい麦茶を係りの方に頂いた。

一気飲みしておかわりさせていただいた、良い休憩所でした。

今回は此処まで。

甲州街道 自転車旅 未来三度笠 令和元年七月 韮崎宿~下諏訪宿 走破完了

 


日光御成道 自転車旅 2 2020年 8月 大門宿~幸手宿 合流地

 

ブログの始まりです。今日が最終日で目的地の下諏訪宿まで走るのだが、今にも振り出しそうな

曇り空の天気の韮崎宿を出発した。

甲州道中とR20甲州街道を交互に繰り返し、℣ターンして桐沢橋を渡る。

上三吹を過ぎ農業用水路が並走を続けて所々に、水力発電装置の水車が設置されていた。

今や懐かしい標識などもあり昭和を感じました。

この道中記は、未来三度笠が正確な江戸時代の道を走り古の旅を追体験しつつ、寂れ行く80年代からの日本の諸行無常さと言う

2つの時代を眺める中記でもある。

この道中記は街道の歴史や文化や民俗学などの、学術的な考察は期待出来ません。

先を急ぐ江戸時代の旅人同様に、徳川の埋蔵金の在り処などもあまり気にかけていません。

自転車の移動速度からしても見落としてます。なのでいつの日にかに、気に入ったの資料館など宿場をのんびり見学して

連泊してみたいとい願望はある。

この日は宿場間の距離が長くなるので、やっと台ヶ原宿に到着をした。

道の駅はくしゅうで、名水をペットボトルに汲んでアジフライ定食で昼飯にした。かき氷専門店で天然結晶の氷のかき氷を頼んで

待っていたら雨が本降りになったので、夏とはいえどこれから標高が上がるので寒いので未来三度笠は合羽を着て美味しいかき氷を雨水で溶けながら食べた。

この道の駅はこの後、運営に変化があったようだ。雨のラストランを再開したが教来石宿は史跡は無く通過した。

釜無川を渡ろうと甲州道中でR20を通過して蔦木宿に向かうと、30年ぐらい前に廃道に成った道で草が高く生い茂り

未舗装の泥水溜りを進んで釜無川の廃棄橋に着くと、電流?と英文の警告のある金網のフェンスで塞がれて通行不可能だった。

その向こうに下蔦木交差点のR20があったので、泥水まみれになって廃道を戻って下蔦木交差点に。

雨ですぐ泥も流れて奇麗になり旧道に戻ると上り坂に高座石があり、登りきると蔦木宿に到着をした。

此処の宿場町は民家の各御宅に、江戸時代の屋号の看板が大きく掲示されていて江戸時代を彷彿とさせる。

その先の旧道の釜無川沿いは未舗装の砕石所でダンプが出入りしており、結局通り抜けらず行き止まり。

またドロドロになってしまった。

しかし舗装路に戻ればタイヤの勢いの良い水のは跳ね上げで、泥の汚れが落ちていった。

ヒルクライムが本格的にきつくなり走り続けたら、御射山神戸一里塚に到達したら此処は917mだった。

青柳ゆるぎ石は、江戸時代から1日で米粒一個分進んでいるという言い伝え。

金沢宿に到着したが雨が続き、休憩をしたいので発酵パークで雨でも合羽で暑いので甘酒とアイスを食べて土産も買った。

此処の味噌蔵は見学が出来るので楽しく興味深いものを見た。

諏訪地方でおかめ様とは、長野の北案が由来ということらしい。

上諏訪宿に着く頃には、一応雨が止んでいたが道が狭いので状況的にすれ違い待ち中の未来三度笠の写真が撮りたいという

おじさんが話しかけて来た。写真撮影はお断りをしたが応援してくれた。

黙ってスマホで盗撮して、デマを拡散し炎上させる系みたいじゃなく良かった。

未来三度笠は中山道では女性に人気で?おにぎりも貰った事に比べると、おじさんに人気?の甲州街道は嬉しく無い。

下諏訪宿到着前に今日の宿を通過ついでに、チェックインが遅れると宿に一声かけたがとてもここは外資系の予約サイトでしか

予約出来なかったが良い新しい宿だった。

そして諏訪大社下社秋宮に到着し、此処が甲州道中と中山道の合流地点で完走となりました。

約二か月ぶりの中山道でもある。二か月前の誓いを果たすため遊泉ハウス児湯で温泉を堪能した。

ヒルクライムで疲れた体癒す、暑めの湯は気持ち良かったが少し入り過ぎてのぼせた。

入浴後は疲れも取れて、体が軽くなり宿に戻り駅前で豆腐料理の夕食にした。

翌日は朝から諏訪城周辺を見学して、かつて温泉街だった諏訪湖の民家のような温泉に入り、温泉三昧な最終日の朝の後、わざわざ甲州道中を現代の文明で

甲州道中をする事が贅沢な遊びだったと分かる。

♪8時ちょうどの特急あずさ2号ではなく私は私は甲州から旅立ちます~。そして東京に戻った。

 

江戸時代の 甲州街道 自転車旅 未来三度笠 令和元年七月 大月宿~韮崎宿 4日目

 宿で朝食後に曇り空の大月宿を出発して大月追分に到着だ。未来三度笠はこの大月追分は何度も国道139号線で富士山方面に

向かう経験があるが、今日の甲州道中方面は初めて通る道ばかりで新鮮である。

さらにこの先の笹子峠甲州道中の笛吹市は実は、2週間程前に中央高速の笹子トンネルを抜けるルートを車で観光をしていたのだ。

楽勝だった笹子トンネルの左横上の笹子峠をわざわざ進むという、摩訶不思議アドべンチャーの始まりだ。

R20や甲州道中や笹子川を何度か超え、阿弥陀街道宿の笹一酒造の向かいの笹子餅で酒蔵饅を購入した。

こういう時に笹子餅も買えないのは、軽量化重視の自転車の積載性の無さ故に残念である。

黒野田宿から林道で笹子峠をロードタイヤのシクロクロスの押し歩きを開始するが結構荒れた林道で倒木もある。

だが傾斜はそれ程でもないが問題が発生した、途中に何か所も小さい渓流が流れており木橋が掛かっている。

未来三度笠が降りて自転車を汚れて湿った木橋に乗せただけで、自転車は押し歩き出来ずにスリップして倒れてしまう。

どうしてもそうなるので、これも滑りやすいがMTB用SPDシューズで歩き自転車を持ち上げて橋を通過した。

ヒヤヒヤしなが何度も滑り易いキケンな木橋を渡ると、やっと名所の矢立の杉に到着をした。

キレイな休憩所があり酒蔵饅を食べて休憩したが、此処には杉良太郎の奥さんモチーフの両面地蔵や

手回しで杉良太郎の歌の矢立ての杉が流れるびっくりドッキリメカがあったのでハンドル20回転して「矢立ての杉」を流しながら

未来三度笠は、時代劇のように去った。

現代日本で時代劇や演歌、演劇などの文化は高齢者世代だけの縮小する文化となりつつあるが、私こと未来三度笠は江戸時代の街道を旅する事で、面白い江戸文化に興味を持つようになった。

荒れた林道の斜面を登り、国道の舗装路に出てしばらくすると、笹子隧道トンネルがありその手前で右に曲がると甲州道中の林道が

笹子隧道トンネルの上を通っていたが、此処も傾斜が厳しく自転車を押し上げながらよじ登った。

汗だくで笹子峠に到着した。ここから下りの林道で駒飼宿を目指すが、土砂崩れ跡の倒木が散乱している状態で旧道は走行不能区間があった。

舗装路で駒飼宿の本陣跡の標識だけがあった。この山中に寿司屋があったがどんな寿司を出したのだろうか?

笹子峠だから笹の葉で包んだ鱒ずしとか冬なら冷蔵無しでいけそうだと思ったが、真相は一体何だろうか。

中央高速の高架下を抜けるとR20甲州街道に入り鶴瀬宿になり、旧道を交えて再び勝沼宿で旧甲州街道甲州道中になる。

ぶどう、ワインの表記が増える栗原宿を進み、石和宿に到着して公園の足湯コーナーで足湯に入った。

今の石和宿は温泉街であるが江戸時代に甲州道中の温泉街の歴史が無い理由は、1960年代に突然畑から温泉が湧き出したから。

新しい昭和創業の温泉街だから、未来三度笠も此処は知らなかったが2週間前に車で7月の名産の桃を買いに温泉旅行をしたのだ。

腹が減ったので、うどんが残念な道中なので甲州ほうとうの名店の小作でカボチャほうとうを食べたがやはり一番美味い。

野菜がゴロゴロ入って鉄鍋で直で食べる古き良き農家の食事っぽくて、素晴らしいので味噌スープも飲み切った。

甲府柳町宿から韮崎宿までの市街地はナビで甲州道中ルートを辿るが、昔の面影も少ない。

この日は江戸時代から続く宿に宿泊した。

創業が江戸時代からの店と、明治大正以降の店を比べると残念ながら後者の方が良い店が多いような気もする。

地方は何処も1980年代のバブル崩壊以降、少子高齢化で街が更新されないままで寂れこの先ゴーストタウン化が

免れなさそうなのが残念な日本の将来を憂う旅でもある。