みらい三度笠の道中ブログ

みらい三度笠が道中をします。

美濃路 墨俣宿~起宿 自転車 吉例街道 shogun そして伝説へ2

美濃路 旧道 墨俣宿~起宿 自転車 吉例街道 shogun そして伝説へ2

今回も美濃路道中1日目に大垣宿から揖斐川佐渡(さわたり)の渡しで

川を越える。

その手前に佐渡の渡しの常夜灯があった。揖斐川渡りさらに進むと墨俣宿に入り

東結の一里塚がある。

東結(ひがしむすぶ)の一里塚

県道171付近から美濃路は、源頼朝鎌倉街道と重複する事が多くなる。

鎌倉街道とは、治承・寿永の乱(1185年)で平家に勝利した源頼朝清和源氏)が

開いた武家政権鎌倉幕府の危機に際し、迅速に武士が馳せ参じる為の街道で、

いわゆるイザ!鎌倉への道であるが、今や道筋の痕跡が分かる事は珍しい。

犀川と並走するような美濃路を進むと犀川長良川が、合流する付近が犀川遊水地になる。約26kmで墨俣宿となる。

墨俣宿脇本陣

脇本陣から進むと津島神社秋葉神社があり鳥居の横に、文化財琉球使節通行記念灯篭がある。

寛永3年1791年に琉球國儀衛延柱書と刻銘文を石灯籠用に執筆を願い作成した

石灯籠がある。その先に墨俣宿本陣跡

墨俣宿本陣

墨俣宿本陣跡碑と常夜灯

長良川の手前を流れる天王川を渡らず美濃路の傍の、一夜城に行ってみた。

一夜城

太閤出世橋

太閤出世橋に到着した。これで歴史の教科書で勉強し妄想し続けていた場所に来れた。

うだつの上がらぬていへんだぁYouTuberのみらい三度笠にやっと巡って来た幸運か?

これが想像していた一夜城?

まあ何という事でしょう!あの河原に一夜にして空にそびえる黒鉄の城が!?

これは一夜城の観光資料館の建物であり興味深いのだが道中の時間に余裕が無い。

実際の一夜城はこっそり夜闇にまぎれて川に木材を流して、木材のバリケード

囲った陣地だったが、この劇的城塞ビフォーアフターな匠の技で、木下藤吉郎こと

太閤豊臣秀吉は出世した。瓢箪から駒のような一夜城であるが、中国の仙人の張果老

乗っていたロバを畳んで、瓢箪に入れていた事から出来たのが瓢箪から駒という言葉。

この場所では太閤の姿でも木下藤吉郎の像

羽柴秀吉が信長に仕え、美濃国秋葉山城を攻める時に秀吉が武将の馬の位置を示す

馬印として瓢箪を合図として使い勝利して、信長に馬印として瓢箪を使うことを許された。美濃路での出世物語の一つか?

瓢箪の像

太閤秀吉出世の泉

出世の泉の水を飲んだが、出世しそうに旨かったがのどが渇いていた事に気が付いた。

瓢箪から水を飲む行為は、現代人には未体験ゾーン。

 


秀吉の功績ごとに瓢箪が増えた千成瓢箪「せんなりひょうたん」は江戸時代の大衆小説の創作だったと言う。江戸時代の人も現在の人々と変わらない歴史のネタ化が好きだった。

日本でも古来、瓢箪は邪気を封じ込める末広がりの縁起物とされている。

中国の西遊記でも孫悟空を苦しめる、妖怪の金閣銀閣が使う名前を呼び返事すると

吸い込む瓢箪(紫金紅葫蘆・しきんこうころ)は道教老子を神格化した神様の

太上老君の物で、その眷属の金閣銀閣が使ってるのは実は妖怪ではなく三蔵一行に

試練を与えていただけだった!という驚愕展開はあまり知られていないし、アッシも

知らなかった。

江戸時代の美濃路の歴史考察に、知力を入れるべきだと思いつつ好きなこと書いていまう。

太上老君の持ち物が使われいる。西遊記の原作が奇伝作品化したのは中国の明の時代

1600年位で意外に新しい作品だった。原作漫画ドラゴンボールでは瓢箪は

未登場だが、

ホイポイカプセルが瓢箪的なアイテムな気もする。アニメ版のオリジナル展開で

金閣銀閣北斗の拳的なモヒカン頭のキャラの、金閣銀閣が登場する回があった。

これも松尾芭蕉の「不易流行」である?!

長良川は当時は墨俣の渡しで船で渡っていた。将軍や大名行列朝鮮通信使の通行時は

舟橋を架けていた。続く境川も小熊の渡しも同様だった。

境川の先にある西小熊の一里塚跡

消えた美濃路ルートは、今回は道中は時間の都合で通過せず。

消えた美濃路の看板があった。

坂井村を新しい道ルートで美濃路道中。

区画整理で消失した旧道や、美濃路道中を始める前に調べた資料に存在したはずの、

一里塚跡等の史跡が見当たらない事があった。

鎌倉街道の道筋同様に時代の流れで江戸時代の史跡も、時の流れで風化や維持管理の

財政難から、記憶から失われつつある。昭和な飲食店ですら同様にもはや絶滅危惧種

なので駆け込んで訪れたい。

羽島市 不破一色の一里塚跡

旧道の歴史の説明看板付きは珍しく、しかも近年の建立。

木曽川の渡し跡に到着すると、大浦(三ツ屋)の道標の石碑があるが写真は看板のみ。

木曽川の渡し大浦(三ツ屋)の道標の説明看板

起渡船場

木曽川を渡る起の渡し跡の説明看板がある。

現在は土手の道路を更に南下して、濃尾大橋で木曽川羽島市から一宮市へ渡るのだが

その手前の土手の道に、濃尾大橋完成時にここに移動した起渡船場破石灯台がある。

約30kmで起宿となる。

濃尾大橋で川幅の広い木曽川を渡ると、手の様なモノが川の真ん中あたりにあった。

スケキヨみたいなこの木を引き出すと、木曽川ゴミを全部出して千と千尋
よきかな展開が?

どうして浸水が深そうな場所に滞留しているのかよく分からない流木は、

この木何の木、気になる木曽川

一宮市定渡船場

起渡船場は上流から上・中・下の三か所の船着き場があり此処は上流の

定(じょう)渡船場跡には、金毘羅神社が祀られる。

常夜灯

定渡船場から次の宿場である、起宿(おこしじゅく)に到着する。

旧湊屋店舗兼主屋・土蔵

なまこ壁風の公衆トイレというか江戸時代風の厠と言うべきか。

宮河戸跡

三つある船着き場の真ん中が大明神社の西側にあり、宮河戸と呼ばれ大藩の通行など

定渡船場だけでは対応出来無い時の船着き場。下流は舟橋河戸と呼び、将軍や大名や朝鮮通信使などが渡る舟橋。

起宿本陣跡と起宿問屋場跡の石碑

起宿脇本陣

起宿脇本陣の歴史民俗資料館に閉館時間寸前の来訪者になりそうな私が来ると、此処の職員が外に居た。元より見学の道中の時間も無く外観のみの写真撮影で手間を取らせず通過した。

富田の一里塚の夕日

富田の一里塚は美濃路で唯一の左右両方に、エノキの塚木が残っている一里塚。

 

あいさつ

サヨナラ!美濃路起宿!と一人であいさつして、本日の美濃路と北陸街道は起宿まで。

一宮駅の近くの宿に向かう途中のうなぎ屋で、晩の道中メシは鰻重にした。

晩飯のうなぎ重は旨いがタレの味付けが粗目で甘さも合わなかった。

みらい三度笠は江戸っ子でも、醤油とみりんと砂糖の味でもみたらし団子が嫌いだ。

群馬や栃木の甘じょっぱい焼きまんじゅうの味噌、水飴、ざらめのタレは好みという、味覚なので、関西方面はうなぎの焼き方と味付けが好みに合わない事が多いが、

各地の道中での食べ比べは楽しみだ。

一宮駅の街に謎のオブジェが多数あった

一宮駅の近くの宿に泊まる

今日は新潟の糸魚川宿から北陸街道道中を5日間連続で、自転車で岐阜の鳥居本宿まで走り、疲れも溜まっていたので宿に着くと、かつてなく眠い。この時点の2020年5月は街も宿も観光客も少ない。ハンドル右側のブレーキレバー下が折れかかった状態は、何とか持ちそうで最終日を迎えられそうだと安堵したが、睡眠の質は良くないが早々に眠りについた。

そして夜が明けた。道中6日目で美濃路道中で最後の朝食

翌朝は今回の北陸道美濃路の道中が最終日の6日目となる。

元気の源の栄養バランスに、気を遣い道中の野菜不足は大体納豆で補うみらい三度笠であったが、この時は出来ればお酢がぜひ飲みたかった。

実は20年位前からみらい三度笠は、美濃の無農薬玄米酢だけを買い続けている。

毎日飲んだり料理に多用し続けており、生まれも育ちも江戸っ子でながらみらい三度笠の腸内環境には、美濃で作られるお酢美濃路の気候風土に漂い醸される酢酸菌(さくさんきん)が20年前から常在善玉菌として存在している。

美濃で醸されたお酢の酢酸菌がみらい三度笠の腸内に約20年位は常在菌として有る

その腸内にある美濃由来の酢酸菌は善玉菌として腸のバイエル機関の、免疫力向上の

スイッチを押して、悪のウイルス対策も続けているのだ。

その脳腸相関は健康やストレスや感情に関わり、第二の脳である腸内の美濃由来の酢酸菌が腸からみらい三度笠の頭脳に指令を送り、コントロールして美濃産の酢酸菌がその故郷の、美濃路への道中をみらい三度笠にするように、遥か昔の20年前から既に

美濃路へと導かれる縁があったのだろう。

気が付かずに腸に美濃路へと誘導されていた?

この道中記はバイオみらい三度笠の、かゆうま道中記かも。

お酒の完全体であるお酢で、疲れも取れてパワーアップの図





続く