みらい三度笠の道中ブログ

みらい三度笠が道中をします。

北国街道 自転車旅 完結編 中山道の追分宿から北国街道で高田宿までを行く2 善光寺宿~高田宿


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2020年8月の約3年前の、遠い日に置き去りにした

北国街道の自転車道中の物語。

三度笠を着けた、ロンリー旧道ボーイのみらい三度笠の翡翠色の勾玉の男の夢は、

道中2日目の今日に、新潟の高田宿に着き完走する事だ。

北国街道の相原宿の中農の子として生誕した、小林一茶の俳句にある

 雀の子そこのけそこのけ御馬が通る

は、北国街道の大名行列や、馬で運んだ金の運搬の風景を詠ったったものだろう。

北国街道は佐渡ヶ島の金山から採掘した金を、江戸まで運ぶ道でもある。

佐渡島の金山で食べれる、金箔アイスは金箔料理界で最安値ではないか!?

上下の画像は別の道中の、佐渡島一周サイクリングの時の写真です。

今日は北国街道の道中2日目の朝となる。

 

昨日の道中の最後に疲れた状態での丹霞郷までのヒルクライムは、8月の暑さで

かなり疲労したが、今朝は朝食に何時ものように納豆を食べて、腸内から健康管理を

している。

今日は元気な状態で信州中野IC付近の宿から、昨日の丹霞郷への急斜面を登りに再び向かう。

昨日見た大きい牛の像を見学して、丹霞郷のリンゴ畑の坂道を登る。

宿泊地の下界から、グイグイ登り綺麗な空気の丹霞郷までの急坂を呼吸は荒いが

昨日よりあっさり登れた。朝の雲の北信五岳も輝いて見えた。

此処から、昨日の北国街道の自転車道中を再開する。昨日の続きの登りは直ぐに

峠の頂上になり牟礼宿までは、ダウンヒルでかなりスピードが出やすい。

勢いを抑えるブレーキングでダウンヒルをした。

平出追分という場所を、何時の間にか通過していたらしいが、

動画からの写真 牟礼宿の付近は急勾配の下り坂。

牟礼宿御本陣跡  現在は本陣の建物は無く駐車場だった。

追分宿から北国街道の距離は約85km

本陣跡から十王堂のある短い距離だが急勾配の十王坂を登ると、高さ2m位の背の高い

ヒマワリが咲いていた。

金附場跡 江戸時代に佐渡ヶ島で採掘された金銀を江戸まで輸送する為に

馬から馬へのリレーで、載せ替えをする中継施設。

史跡のマンガでの説明は、面白い。

その金を採掘する,新潟の佐渡島の金山の佐渡奉行所。 

江戸時代に金の精製は、この奉行所で行われて北国街道を通り江戸に送られる。

これは別の道中の2020年11月の、佐渡島一周の自転車道中の写真。

佐渡島での2020年11月の写真は此処まで、話は8月の北国街道に戻る。

牟礼宿から小間宿への明治時代の舗装路と、江戸時代の未舗装路の分岐。

動画の写真。江戸時代の北国街道を、700x25cのスリックタイヤの

カーボンロードで未舗装路の道中を続けるが、夏なので虫にタカられ鬱陶しかった

が、クマなどには幸い遭遇しなかった。

古間一里塚跡 古間宿に着く。約92km

俳人で有名な小林一茶の故郷はこの地で、一茶記念館があった。

50代で3回の結婚と6人の子供を作った、小林一茶の元気さを現代人は、一茶の俳句同様に学ばなくては、日本は少子化し過ぎて無残様に滅しそうでヤバい。

すぐに相原宿になる。約93km

美味しそうな焼きトウモロコシが、売っていたので購入した。

芯を持っての食いちぎるワイルドな食べ方の焼きトウモロコシは、

原始肉的な感じもする。

甘くてとても旨かった。

みらい三度笠は長年誤解していたが、太古に野尻湖に居たナウマンゾウと、

マンモスは別物という、生物学上の区別がなかった。

つまり、はじめ人間ギャートルズはマンモスの原始肉を食べてるのであり、

ナウマンゾウの肉は、食べてはいないとは知らなかった。

日本の本州にはマンモスはおらず、ナウマンゾウだけが生息していた。

北海道はマンモスとナウマンゾウが、混在して生息していたという事だ。

ギャートルズは北海道での話だろうか?

黒曜石の文化を日本各地に広めた縄文人ゲノム解析同様に、ナウマンゾウ

マンモスもゲノム解析で、古代の謎が解き明かされる日も来るだろう。

昔にゾウが踏んでも壊れない筆箱のcmがあったが、ナウマンゾウなら耐えられるが、マンモスではその筆箱は壊れてもマンモスは、ゾウではないので保証はしないかも。

古い話が多過ぎた。

野尻宿に到着した。約96km

野尻湖の湖畔で野尻湖の水に触れ、太古の1万3千年前この地に居たナウマンゾウ

存在に思いを巡らせた。

先を急ぐ旅なので野尻湖ナウマンゾウ博物館には、残念だが立ち寄れず再び北国街道の関川宿の関川御関所に進む。約100km

赤川1号スノーシェード 豪雪で道路が埋没しない為のトンネルが必要な程の

雪が降ると言う事だろう。

江戸時代の北国街道では、豪雪で除雪が出来ず通行止めになる事もあったという。

数か所スノーシェードを抜けるダウンヒルを終えると、関川御関所に着いた。

関川の流れる橋を越えると、これにて信越国境超えとなる。

すぐに次の宿場の上原宿になる。場所が良く分からず写真も無いまま通過してしまった。約100km

此処は田切宿 約103km
その次は二俣宿だが写真は無し。約105km

北国街道は次の宿場の間隔の距離が、中山道などよりも近い。

この妙高大橋の下に、旧北国街道があるのだが2020年8月の当時は

橋の架け替え工事の為に通行止めだった。

写真左のクレーンの下の先に名水100選の湧き水があり、大田切清水と呼ばれ

参勤交代など旅人の喉を潤した場所があるが、妙高大橋架け替えの為に工事中の新しい妙高大橋の下の場所には行けない。

北国街道から外れ旧妙高大橋で、大田切川を渡った。

2023年の現在は工事は完了しており、旧北国街道は通過が出来そうだ。

新潟の郷土料理の笹寿司でお昼ご飯にした。妙高市上越市糸魚川市で食べられる。

江戸時代の北国街道の道中の食事らしい、現地の郷土料理は美味しかった。

笹の葉には殺菌効果があり、今はサランラップだが昔は、おにぎりなどの飯を

笹の葉で巻いて携帯をした。

ストーブ並みに熱い8月だったので、おやつにアイスを食べた。

もう少し先で次の宿場の関山宿になる。

関山宿に到着した。 約110km

 

二本木宿    約115km 二本木駅スイッチバックで進行する。

小出雲坂 かつては松並木の道で「越後見納めほろと泣いたをなんじ忘れられよ」と

里歌に歌われた。昔は高田平野や日本海が見えたそうだが、松並木も無ければ

高田平野も日本海も気が付かなかった。

新井宿に到着。約121km

新井宿本陣跡 道の向かいに高札場跡がある。

今回の道中の目的地の、北国街道の高田宿に到着した。 

追分宿からの距離は約131kmの、かなり江戸時代の道筋の自転車道中だった。

高田宿は3m以上の豪雪の為に、雁木という木のアケードの通路が街に張り巡らされている。そして2020年8月のこの道中では、街の軒先の全てに飾られる大量の風鈴が

響き渡り、鈴の音であるが故に不快ではなく街の空気を涼やかな物にしていた。

江戸っ子のみらい三度笠は、風鈴の音色は江戸風情を思い浮かべる。



東海道中膝栗毛」やじさんきたさんの、作者の十返舎一九の作品

「諸国道中金の草蛙」に登場する歴史ある、飴屋で土産を購入した。

伝統的な和菓子かと思いきや、グミみたいな現代的なイマドキな味と食感なので

ナウなヤングのみらい三度笠にも、まろやかで美味しい。

お馬出しの辻

高田城 家康の六男 松平忠輝の居城として慶長19年(1614年)に建てられた。


デザインが独特なJR高田駅

雁木通リにある、旧今井染物屋 市が文化保存の為に所有する資料館。

この時点の道中は見学が出来ない事が多い。 

瞽女ミュージアム高田 盲目の女旅芸人の人生が分かるミュージアム

こちらの付近の上越本町七丁目が、北国街道と北陸街道の分かれ道である

北国街道追分となる。

北国街道の中山道追分宿から高田宿まで、約131kmの道中を終えた次は

北陸街道の自転車道中の始まりとなる。

北陸街道のここから中山道の合流地点の、鳥居井本宿まで約397kmの距離だ。

 

今回の道中は明日に糸魚川まで、北陸街道の日本海側を走って終了するので

今日は北陸街道の中屋敷宿の、直江津駅付近まで自転車道中をした。

北陸街道の宿場の中屋敷宿を通過する。高田宿から約4、13kmの距離。

高田と直江津が合わさって、現在は上越市と呼ばれる場所の加賀町にある加賀街道の

史跡説明の看板。かつては参勤交代など物流などで賑わっていた。

みらい三度笠の自転車道中では、はじめて御江戸東京から新潟上越市日本海まで

走破して眺めた居多ヶ浜ノ海は、自分の力で訪れたので感慨深い。

2020年8月の北国街道の自転車道中記は之にて、一件落着なり。

この道中の中山道合流地点までの続きは、先に書いてしまった2022年5月の

北陸街道自転車旅で完結します。