今日も元気ハツラツオロナミンc!で出発だが牛乳割は無いよな。
朝の追分宿のお宿を出発しようとしたら、前日のパンクが再発していたので新チューブに交換して出発した。
これからダートでパンクする率が上がるので、あと残り1本の予備チューブは大事にしたい。
江戸時代の街並みを保存する長久保宿の、道路脇の水取場で給水をした。
長久保宿の高札場跡
浅井間の宿の酒蔵で歴史資料と美術館を見物した。
芦田宿を通過すると本日の未舗装路の笠取峠を、25cロードタイヤでチャレンジしたがここはそこそこのキツさ。
学者村を越してもまたダートになったりして、長久保宿に到着した。
ペダル回しまくりの運動生活は、何時も腹ペコなので信州ヒスイそばを食べた。
味はもちもちした麺が独特で美味しかった。
これで和田峠をハンガーノック状態は無しで、走りきる事が出来る。
和田宿は旅籠の姿を残す資料館があり、今回は旅籠に泊まれない私には旅籠に宿泊した気分を味わえた。
この時、急に土砂降りの雨になったので雨が止むまでここで小休止をしたが、
和田峠越えを開始するには、夜になるぎりぎりの時間での再出発だった。
和田宿本陣は皇女和宮も泊まった。係りの方が案内をしてくれた。
和田宿は太古から、良質の黒曜石の産地で日本三大産地であった。
黒曜石は狩猟に使う矢じりや、ナイフに加工して使っていた。
この黒曜石石器資料館は石器時代から、縄文時代の黒曜石の歴史が分かる。
日本の長野県地方の歴史、文化、信仰の原点を垣間見る事が出来る。
雨の止んだ和田峠の未舗装路入り進むと何故か、シカの頭蓋らしきものが転がっていたが、人間の仕業かも。
ラヂオを最大音量にするが、入るのはノイズのみでラジオがクマよけにならんかも。
山岳登山道の登りを25cロードタイヤのシクロクロスで、乗ったり押したりしながら進むと
永代人馬施行所跡の藁ぶき屋根の建物があり、
座敷にデフォルメのゴジラ人形が何故か置き去りにされていた。
錆びて朽ち果てそうな中山道の案内看板を見ながら、かつての餅屋の場所を伝える看板も見かける。
途中で避難所という小屋も見たがボロボロの建物から、クマでも出てきそうで怖い。
この辺は30年以上は、あまり本格的に和田峠への登山道へ手も入れられてい居ないようだ。
ロードタイヤでダートは走る時は、体重移動なども駆使してスピードをなるべく抑えパンクしないように瞬時に路面を選び、トラクションがかからずやや横滑りすることを前提で、コーナリングをするので大変疲れます。
小川の流れる直径2m程の下水菅みたいな長さの短いトンネルを潜り、国道を横切ってダートに戻る。
そんな苦闘の末に、急に開けた和田峠への頂上に到着した。
和田峠の頂上には顔をだしたモグラが作った小山が3個程あり、さすがに達成感があった。
ここに和田峠の詳しいマップが郵便ポストにあったので、頂いたがこれのお陰でとても助かった。
下諏訪宿に下るのだが、登山道がグズグズの状態で降りて歩くの大変な状態のうえ、かつての階段らしき物を固定した
鉄骨が点々と残り、足を引っかけたりそれが怪我の原因になる凶器として埋まっていた。
するとナビの女性のルート案内の声がこの時だけ壊れ、暴走したコンピューターの不気味な声でルート案内を話すようになってゾッとした。
誰も居ない山道の、おうまが刻である。
雲行きも怪しくなり、日も暮れそうなので何処まで江戸時代の道への意地を張るか考えながら先ほどのマップを見ると現在の位置から近い新和田峠トンネル諏訪出口あたりで国道に出ないと、
さらに約7kmもこの林道を、真の暗闇の山道を進むと言う事が判明した。
獣の気配も強くなり始めたので新和田峠トンネルで国道142の方に撤退した。
すると土砂降りの雨になりこの判断が正しかったが、路肩の無い国道142の大雨のダンヒルも車も自転車に容赦なく走るのでこれも命がけの行為であった。
小雨になった下諏訪宿に着くとホッとした。ここが下諏訪宿本陣跡。
私の好きな温泉街だが一度も温泉に入った事が無い。
この後、未来三度笠が中山道の接続部である甲州街道を旅した時に必ず下諏訪宿で、温泉に入ると決めた事を実行するのは、その2か月後であった。もうネタバレしてしまった。
再び雨が降りずぶ濡れで夜の岡谷宿にたどり着き、ホテルで食事をして疲れを癒す風呂に入った。
今日も良い一日の運動で、すぐに眠りについた。