みらい三度笠の道中ブログ

みらい三度笠が道中をします。

旧道☆北陸街道の自転車旅 中山道自転車旅の鳥居本宿まで行く その3 魚津宿から倶利伽羅峠越えで金沢城下まで


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北国街道の道中を再開してから2日三の朝の魚津宿を出発する。

ハンドルがブレーキレバー下から折れかかり、少しグラつくハンドルの右側のままの状態だが、自転車店も無く本日の最後に訪れる難所の倶利伽羅峠越えをするしかない。

破断させない様にそっと、カーボンロードバイクの700x25cタイヤで、

ダートの衝撃を受けないように、木曽義仲で有名な倶利伽羅峠

北陸街道の林道も走る事にした。

この辺は北陸街道と呼ばれるが、金沢に近くなると北国街道と呼ぶことが多くなり

この道中のタイトルをどうするか悩ましい。

滑川宿の坪川の一里塚

滑川宿のほたるいか群遊海面を見学に寄り道をした。

夜になるとほたるいかが美しい青く輝きを放つ海面。

美味い富山のほたるいかだが、旋尾線虫があり生食は不可だ。

滑川宿から水橋宿を通過して、次の岩瀬宿の富山港線岩瀬浜駅に北前船の歴史が書かれていた。

東岩瀬宿は陸地の北陸街道の宿場と、北前船で栄えた東岩瀬回船問屋型町屋の

港として海からの宿駅としても栄えた。北前船日本海側の寄港地の文化の共通性を

もたらした。回船問屋は大阪から北海道までを1年かけて巡り、各地で売り買いをする

江戸時代から明治時代までの、総合商社だった。

そして、これが2020年にサイバー大八車で行った、青森県の常夜灯公園で

みらい三度笠が撮影した、復元された航行可能な北前船・弁財船のみちのく丸。


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偶然が重なりこの道中の後の2022年5月25日に、

演歌歌手の五木ひろしが新曲の「北前船」をリリースした。

今回の道中で東岩瀬宿に初めて訪れたが、この日が岩瀬諏訪神社の春季例大祭の日とは

知らなかったが、岩瀬曳山車祭が行われていた。

北前船の船体のごとく、しっかりした車体の山車の木製の車輪がギィーと音を立てて、曳かれて進む。その上の飾りが、たてもんと呼ばれる。

夜になるとたてもんは発光し、挽き山車同士がぶつかり合う「けんか祭り」が始まる

約350年の歴史と伝統の祭り。

街並みも歴史を感じさせる。

下村宿

小杉宿 道標 左いわせ 右とやま と書いてある。
高岡城址は加賀藩城址で、1906年に大火に見舞われた富山城の代わりに、

築城されたが1615年に徳川幕府一国一城令により、廃城になって米蔵などに

使われた。

高岡宿 御本陣跡

昼食は回転してない回転寿司店で、氷見で捕れた地魚などを食べた。

漬けほたるいか。青く発光してるほたるいかを一度は見たいものだ。

往還の松という加賀藩が加賀道(北陸街道)に植えた松は街道沿いにわずかに残っていた。立野宿を通過して、福岡宿に入ると橋の袂に三度笠が描かれていた。

越中福岡宿は菅笠の産地とのことなので、みらい三度笠としてはいっぷくするしかない。

安納芋ポタージュは甘みがあった。

安納芋アイスは安納芋の味で美味い。

QR決済も対応していた。同じ建物に雅楽の館がある。

薄氷本舗 五郎丸屋 宝暦二年創業1752年もの歴史の店で、和菓子を購入した。

砂川橋一里塚跡

本日の難所の倶利伽羅峠に到着した。ここは木曽義仲平維盛が合戦し木曽義仲

夜襲の火牛の計で、谷に落とされ平家軍は敗走した。

この時、ドライブコースか歴史散策コースにするか悩んだが、右ブレーキレバー

下から先のドロップエンドまでグラつきは、今の所は悪化はしていない。

このハンドルの状態で、700x25cのスリックタイヤのカーボンロードバイク

林道ダートの歴史国道で、倶利伽羅峠を超える事にした。

対策としては右ブレーキレバーのブラケット握りせず、右はハンドル上面を持つ。

フロントブレーキはハンドルの折れかかった所に負担がかかるので、ダウンヒルでも控えめにして、シフト操作も多用しない固定ギア気味に走行する。

ダートのダウンヒルでリアブレーキを多用すると、タイヤがスキッドして滑り、

薄いロードタイヤの接地面や、弱いサイドウオールに穴が開くと修理不能

タイヤバーストとなり、今回の道中が完璧にこれで中止となるのだ。

以上を気を付けて、標高260mの倶利伽羅峠に登った。

アスファルト道路もここまで、ここから先は担ぎ上げたり押あげたり乗ったりした。

たるみの茶屋跡

天地峠茶屋跡 参勤交代から昭和34年まで続いたとのこと。

昭和の中期頃まで、牛は荷物を運んだ。

火牛の木像があった。

立山の砂坂一里塚には、日本庭園で竹筒に水を貯めて、コーン!と音を鳴らす

ししおどしが、山中で音を鳴り響かせていた。

猿ヶ馬場の平家本陣跡

源平倶利伽羅峠古戦場跡 

火牛像は良く管理されていて、ピカピカと綺麗だった。

倶利伽羅峠展台では、地源平合戦ドラマがスピーカーで周囲に響き渡る音声で聞ける。

源平供養の五輪塔が安置されている。

此処はベンチやトイレもあるので、休憩して五郎丸の和のスイーツでおやつに。

竜ヶ峰城の手前で、猪が捕獲されたばかりのスマホ写真を見せてもらえたが、

中型犬サイズで道中で、猪と遭遇したくないと思った。

竜ヶ峰城址を過ぎ無事にハンドルも折れず、パンクもせず無事に

倶利伽羅峠越えが出来た。人里に降り竹橋宿を過ぎる。

津幡宿の、おやどばしの奴さんがお出迎えしていた。

5年前の2017年は日本唯一の砂浜の国道である、石川県の

千里浜なぎさドライブウエィをサイバー大八車で加賀城下町に行った。

2022年5月は、カーボンロードで加賀道(北陸街道)で加賀藩の城下に到着した。

この辺から北陸街道とは呼ばず、同じ道中が北国街道の表記に変わる。

加賀藩と言えば江戸の中山道の本郷の東大に、加賀藩江戸上屋敷跡がある。

川柳で、本郷もかねやすまでは江戸のうちと詠われているので、

東大辺りは上屋敷じゃないと言われるが、これは川柳の間違いで

実は川柳は五・七・五のリズム感重視で詠む定型詩であって、

江戸時代のパリピ的に地図上で、事実と異なっていても無視していたからだろう。

実際の江戸の墨曳・朱曳は中山道の板橋宿あたりまでが江戸のうちだった。

これで加賀藩の参勤交代の道を、中山道を含め自転車旅で道中を完走したのだ。

みらい三度笠が、百万石サイクリストになった。

再開2日目の本日は金沢城下までの道中でおしまい。

2日目魚津宿~金沢城下走行距離約91km程

翌朝に立ち寄った金沢駅は木造で迫力がある。

今回は北陸街道をロードバイクで道中する事が最優先で、金沢を観光していないので

5年前の2017年サイバー大八車で親不知から、金沢に行った時の写真です。

加賀藩 金沢城公園の五十軒長屋

兼六園

近衛町市場で寿司を食べて、のどくろの旨さを知った。

5年前は金沢のレンタル自転車で金沢市内を観光した。