大月駅の前の駒橋宿の宿に泊まり朝食後に、曇り空の駒橋宿を旧道で出発する。
直ぐにR20合流すると大月宿になる。ここから大月追分に到着だ。
みらい三度笠はこの大月追分は学生時代にサイクリングで何度も昔の道の造りの国道139号線で
富士山方面に向かった経験は何度もあるが、今日の甲州道中方面は初めて通る道ばかりで
新鮮である。
大月宿は江戸から20宿目で約95km
さらにこの先の笹子峠の甲州道中の笛吹市は実は、2週間程前に中央高速の笹子トンネルを抜けるルートを車で観光をしていたのだ。
楽勝だった笹子トンネルの左横上の笹子峠をわざわざ進むという、摩訶不思議アドべンチャーの始まりだ。
現在のR20と、甲州道中や笹子川を何度かクロスしながら走り、21宿目の下花咲宿約96km、
上花咲宿は約97km22宿目の下初狩宿は約101km、本陣跡を見落とした中初狩宿は
約102km、23宿目の白野宿は約104km、24宿目の阿弥陀海道宿は約107kmを通過した。阿弥陀海道宿の笹一酒造の向かいの笹子餅屋で蔵酒まんを購入した。
あんこの中に、ツーンとした甘酒ペーストが入っていて酒まんらしい味で美味い。
こういう時にみやげに笹子餅も買えないのは、軽量化重視の自転車旅の積載性の無さ故に毎回残念である。
黒野田宿には一里塚跡がある。甲州道中の林道で笹子峠を越える。
ロードタイヤのシクロクロスの押し歩きを開始するが結構荒れた林道で倒木もある。
だが傾斜はそれ程でもないが問題が発生した、途中に何か所も小さい渓流が流れており木橋が掛かっている。
みらい三度笠が降りて自転車を木橋に乗せただけで、自転車は押し歩き出来ずにスリップして倒れてしまう。橋が簡易の木製なので湿っており、橋の表面の苔や泥などが滑る原因だった。
どうしてもそうなるので、これも滑りやすいMTB用SPDシューズで歩き自転車を持ち上げて橋をそっと通過した。滑ったら大事だが、ガチ甲州道中ルートはエクストリーム道中過ぎる。
ヒヤヒヤしなが何度も滑り易いキケンな木橋を渡ると、やっと名所の矢立の杉に到着をした。
キレイな休憩所があり酒蔵饅を食べて休憩したが、此処には杉良太郎の奥さんモチーフの両面地蔵があった。
手回しで杉良太郎の歌の矢立ての杉が流れる、びっくりドッキリメカがあったので
ハンドル20回転して「矢立ての杉」をBGMに流しながら、その場を立ち去るみらい三度笠は、
かつてのTV時代劇のような気分になった。
現代日本で時代劇や演歌、演劇などの文化は高齢者世代だけの縮小する文化となりつつあるが、
みらい三度笠は江戸時代の街道を旅をして、海外旅行もしたが日本の旧道のその良さに気が付いた。
日本の伝統の音楽は素晴らしい。
荒れた林道の斜面を登り、国道の舗装路に出てしばらくすると、笹子隧道トンネルがありその手前で右に曲がると甲州道中の林道が
笹子隧道トンネルの上を通っていたが、此処も傾斜が厳しく自転車を押し上げながらよじ登った。
汗だくで笹子峠に到着した。
ここから下りの林道で駒飼宿を目指すが、土砂崩れ跡の倒木が散乱している状態で旧道は走行不能区間があった。
26宿目の駒飼宿は約115km舗装路で駒飼宿の本陣跡の標識だけがあった。
この山中に寿司屋があったが、当時はどんな寿司を出したのだろうか?
笹子峠だから笹の葉で包んだ鱒ずしとか冬なら冷蔵無しでいけそうだと思ったが、真相は一体何だろうか。
中央高速の高架下を抜けるとR20甲州街道に入り27宿目は鶴瀬宿で約116km
旧道を交えて再び28宿目の勝沼宿は約121km
桃やブドウの果実農園が多い勝沼宿で、旧甲州街道の甲州道中になる。
さらにぶどう、ワインの表記が増える29宿目の栗原宿は約124kmに到着した。
30宿目の石和宿は約130kmに到着して、公園の足湯コーナーで足湯に入った。
今の石和宿は温泉街であるが、江戸時代に甲州道中の石和温泉街の歴史が無い理由は、
1960年代に突然、畑から温泉が湧き出したから。
新しい昭和創業の温泉街だから、此処は知らなかったが2週間前に車で7月の名産の桃を買いに温泉旅行をしたのだ。
腹が減ったので、うどん屋が意外と癖のある店だった道中なので、石和の甲州ほうとうの名店で
カボチャほうとうを食べたがやはり一番美味い。
野菜がゴロゴロ入って鉄鍋で直で食べる古き良き農家の食事っぽくて、素晴らしいので味噌スープも飲み切ったが、飲食、コンビニ店員も最近はネットで客の妙な情報を驚く程共有して、変な噂を流し
マウント取りをしているのだ。店員にはもう個人情報は晒さない方が良い。
31宿目の甲府柳町宿は約133kmから韮崎宿までの市街地はナビで甲州道中ルートを辿るが、昔の面影も少ない。
この日は江戸時代から続く宿に宿泊した。
創業が江戸時代からの店と、明治大正以降の店を比べると残念ながら後者の方が良い店が多いような気もする。
地方は何処も1980年代のバブル崩壊以降、少子高齢化で街が更新されないままで寂れこの先ゴーストタウン化が免れなさそうで、残念な日本の将来を憂う旅でもある。