みらい三度笠の道中ブログ

みらい三度笠が道中をします。

旧道☆北陸街道の自転車旅 中山道自転車旅の鳥居本宿まで行く その2 糸魚川から魚津まで 2022年5月に道中再開


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北陸街道の自転車旅を、2020年8月に糸魚川の姫川にて一時中断してから

2022年5月に再開する事にした。あんまり乗り気ではない最大の理由を語ろう。

何故、中断したと言えば北陸街道の糸魚川から先の、北陸街道の自転車旅の

最大級の難所である、親不知に至る洞門トンネルが、道幅の狭く

歩行者や自転車の通行の為の空間が無い。

自転車で走るには、あまりに危険なトンネルだと知ったのは、2017年にドライブで旧サイバー大八車で、糸魚川ー静岡構造線的なルートで温泉巡りドライブを

した時だった。

その時の2017年の写真です、当時の姫川温泉で温泉に入ったがいい湯だった。

看板の絵はたぶん、奴奈川姫だと思う。

此処も翡翠が採れる。その後親不知に車中泊をする為に、旧サイバー大八車こと

クルマで通過した親不知付近のトンネル内の無余地ぶりには驚いた。

自転車での通過は、凄く危険過ぎると感じたからだ。

以上、5年前の2017年の旧サイバー大八車での車中泊の写真は今回はここまで。

2022年5月にトンネル通過の不安を振り払い、北陸街道の自転車旅の最大級の

デンジャーゾーンの難所から再開する事にした。

それが、みらい三度笠の杞憂で済まない事態になる事だと、この時に既にカン付いていたのかも知れない。

輪行で上野発の北陸新幹線はくたかで、約1年9か月ぶりに糸魚川駅に到着した。

糸魚川市は「古事記」や「出雲風土記」の古代文献には高志国(福井県から新潟県、山形あたり一帯)があり、沼河比売と言う姫が居た。

コシヒカリ米はその高志、越(コシ)が由来だそうだ。

 

糸魚川は太古より翡翠(ヒスイ)の産地で、低温で高圧力の地質帯の沈み込みのズレで発生する。
駅隣のヒスイ王国館は翡翠展示コーナーもある。海岸でヒスイ探をしたいが

自転車道中の時間に余裕が無いので、糸魚川翡翠のキーホルダーを購入した。

春よ来い、早稲田大学の校歌など有名な曲を、幾つも手掛けた相馬御風氏は

越の国で採れたと言われていたが、1938年に失われた伝説と化した、翡翠の勾玉のありかを糸魚川の周辺に有る事をつきとめた。

約1年9か月ぶりに北陸街道の道中を、遂に再開した。

8号線を青海宿へ道中開始した。

青海宿本陣清水家跡を過ぎる。

此処から先の子不知と呼ばれる区間は、古より江戸時代までは海岸沿いの波打ち際を歩いた。

そして現在は当時の海岸沿いの道は、開発など環境変化で姿を消して通行は出来ない。

今回の北陸街道自転車旅で最大級の現代的な難所の国道8号線洞門区間の、勝山側から

6つの洞門を通過をした。車で来た時はなんて事はない狭い洞門でしかなかったが。

だが今回はわざわざ自転車旅であり、やはり嫌な予感は的中した。

子不知の最後の洞門の駒返洞門で最悪な事態が発生した。

駒返洞門だけ内部が暗く、サングラスした状態だったので暗さで視界不良で平行感覚を失い気味になった。

ダウンヒルのカーブと言う、ロードバイクにはシビアな操作が必要な状況だ。

しかも何故か、ハンドルがブレ出したのだ!後続車の存在はトンネルに響き渡る航空機のような轟音でしか認識が出来ないので、近距離で煽られてるような物凄いプレッシャーを受ける。恐怖心で肩に力を入れずに平常心を保ってなんとか落車せずに、

無事に駒返洞門を脱出する事が出来た。

 

イメージ図

エリア88ならぬエリア駒返洞門を抜けて、明るい外の世界に戻るとマーベラース!

正に、今日もまた生き残ってしまった、という感想であった。

北国街道を旅をする方々には、この区間だけは全くお勧め出来ない。

ステム一体型カーボンハンドルがブレた原因を調べると、なんと右ブレーキレバー辺りから折れが発生してバーエンドまでが、少し動くがまだ持ちそう。

ブレーキレバーの固定バンド金具辺りで、ハンドルがひび割れていた。

カーボン繊維で辛うじて、繋がっている。

折れた原因は以前の落車と、駐輪中に何度も風が吹く度に倒れた事だろう。

軽いカーボンハンドルはアルミより強度が足らない。再開初日から北国街道自転車旅の中止にするか悩んだが、折れたら道中は完全に中止だ。

この状態が何時まで持つか分からないが、修理は自転車店も無いので無理である。

とりあえず右ブレーキレバーのブラケット持ちは負荷が大きいので、

右側はハンドル上面のみを持つ事にした。鳥居本宿までまだ持つか不安を抱える。

トンネルを抜けると、糸魚川市歌と言う場所に出た。無人駅の親不知駅があった。

5年前の旧サイバー大八車での車中泊以来の、親不知ピアパークに初めて自転車で到着した。5年ぶりのミリオン像。

糸魚川ー静岡構造線はフォッサマグナの西側の事で、柏崎ー千葉構造線が東側になる。

タラ汁を食べたが、新潟コシヒカリ米も魚も美味くて幸せ。

アンコウのから揚げはジューシーでお勧め、ヒスイアイスはお米が入っていて美味。

糸魚川翡翠の勾玉のお土産も此処で購入したが、棒状の物より勾玉の方がヒンヤリする。

昼飯の後再び洞門を車の来る前に急いで抜けて、自転車通行禁止の天険トンネルに到着した。

ややこしい複数ある親不知の周辺の道と鉄道跡を整理すると

1第一世代 古代から江戸時代、明治時代初期までの海岸沿いの波打ち際の道。

2第二世代 明治天皇巡幸が上路だった事をきっかけに明治16年に作られた

       昭和までの国道8号線。

3第三世代 昭和41年に完成した現・国道8号線天険トンネル

4第四世代 北陸自動車道 

5上路 険しい山越えのルート

6旧北陸本線トンネル 海岸沿いを通過する部分的にトンネルが残っている。

7親不知コミュニティーロードは、2の第二世代の道です。

天険トンネルは自動車専用道路で歩行者・自転車通行不可なので通れない。

7の親不知コミュニティロードを進んだ。

このように親不知は道が多過ぎて、今回の道中の通過の為に調べる事が大変だった。

親不知記念広場に到着した。

親不知を見渡すことが出来る。

砥如矢如(とのごとくやのごとし)と刻まれる 明治16年完成の国道8号線 現在の親不知コミュテーロード

砥石の如く滑らかで矢の如く真っすぐな道、という意味を完成記念に刻んだ。

みらい三度笠は、矢の如し、砥の如しと、読んでしまった。

ぬーなとジオまる。

北陸本線トンネルへの階段。

市振宿 明治天皇御小休所跡

市振宿 加賀藩の御関所跡 加賀道(北陸街道) 

越中宮崎から泊に向かう朝日町元屋敷に到着した。

松尾芭蕉の句碑 早稲田の香や分け入る右は有磯海 

確かに朝から空気の汚れたお江戸東京から、新幹線で一気に到着した

北陸街道の清浄な空気と爽やかな風は、深呼吸したくなる心地良さ。

今回の道中では、早稲より氷見まで畑には金色の麦の穂が多かった。

勾玉オブジエ 付近の宮崎・泊や入善海岸では翡翠の原石が見つかる。

舟見宿本陣跡

 

JR黒部宇奈月駅 

黒部渓谷トロッコ電車が展示されている。

箱根清水 かつては隣に茶屋があった、とても美味しい癖のない湧き水だった。

北陸街道は店や自動販売機が少ないので、道中で水分補給は出来る時にした。

東海道の箱根との関係は無いのかな。

片貝川の集落跡

魚津宿に到着した。再開の初日から現代的な道路事情による難所の親不知で

ハンドルも折れかかっていた。さらにみらい三度笠の睡眠不足も相まって

心身共に疲労した状態で宿にたどり着き、本日の道中はやっとこさ終了した。

しかし、今日購入した和のスイーツで、元気はつらつバイバイン

本日の距離 糸魚川駅~魚津宿 約54km

あと4日の北陸街道の道中が続く。