みらい三度笠の道中ブログ

みらい三度笠が道中をします。

北国街道 自転車旅 中山道の追分宿から北国街道で高田宿までを行く  追分宿~善光寺宿 その1

 

 写真は2020年8月の北国街道の追分宿

 三歩を歩いて旅の記憶が薄れる、みらい三度笠は

2022年8月の北陸街道・北国街道の糸魚川宿~鳥居本宿の中山道の合流地点編を

忘れない内に先に書いてしまったので、時系列が前後してしまう。

本当は動画にするつもりだったが、最近は収益激減中と言われるYouTubeだが

収益化は見込めない状態の、再生回数のみらい三度笠の道Tube

(どうちゅうぶ)のYouTube動画の編集は、時間が掛かり採算も合わない。

煩雑で座りっぱなしの、缶詰め状態の動画編集は大変不健康だ。

そんなワケで2020年の8月の自転車による道中の北国街道の追分宿~高田宿編は

しっかりと動画撮影はしていたが、道中の時の気持ちや記憶も薄れ、大変な動画の

編集作業をする気力も薄れてしまい、制作の楽なブログ化をする事にした。

その為、動画撮影はしたが、ブログ用にあまり写真が無い状態だ。

サムネイル作りもメンドクサイ。

動画は映像によるインパクトが強いが、細かい文章を伝えるにはブログの方が良い。

前置きが長くなったが、此処から本題の道中の始まりです。

 2020年8月に開始した北国街道の道中を、中山道と北国街道の分岐点の

追分宿から高田宿まで約131kmを、自転車で道中に旅立った。

今回は分去れ道標の動画撮影はしたのだが、写真の撮影をしてない。

代わりに、動画の映像のモニーター画像の写真です。

この分別れで右の道が北国街道で左の道が中山道となる。

ここからは2020年8月の写真となります。これから再びみらい三度笠が中山道

鳥居本宿で合流したのは、約1年9か月後にこのブログに書いた北陸街道・北国街道の越後、越中、加賀、越前への道中の2022年5月の事であった。

シャーロック・ホームズ像がある。この場所はホームズの翻訳家の延原兼氏の仕事場に近かった。

ホームズで始まる、北国街道、北陸街道だけではないの通り名の謎解き道中が始まる。

影響を受けた作品は多く、江戸川乱歩、宮崎監督も携わった名探偵ホームズ、

江戸川コナンなど、日本の探偵物の作品に影響を及ぼした人気作品の始まりと言える。

などと書くと江戸時代の道の道中記ブログとしての、江戸時代の歴史考察の要素が薄い。

ここは、北国街道の分岐点の江戸時代の中山道に所縁のある、なんだ神田の明神下の

台所町に住む設定の銭形平次のように、道は時にはまがりもするが、かけてもつれた謎解く道中が始まる。北国街道・北陸街道や加賀藩参勤交代道、善光寺街道などや

(この写真は2020年11月の、佐渡ヶ島一周的自転車道中の写真です)

佐渡島の金山の金を江戸に運搬も行い、絹を横浜まで運び海外に輸出する道の謎を、

みらい三度笠に解けるのだろうか?実はこの時は調べたルートを正確に走ってるだけで

満足なので、後日に興味を持ち知識を吸収している状態だ。

今日は道中の開始から、ほぼ下りが続くペダルを漕がない自転車道中で気が楽だった。

だが、この日の最後はキツいヒルクライムが待っているのだ。そして夕方には周囲に

泊まれる場所も無い場所に到達する。さらに走り続け暗闇の中で旧道の走行は

可能だが、その区間の旧道の景色は夜で真っ暗で道中の発見を楽しめない。

江戸時代の宿場めぐり旅あるあるの、江戸時代の宿場町に行ったら、今は宿も無く

泊まれない!である。

仕方が無く宿泊地の為に峠越えで登った標高を、途中で放棄して旧道から外れる。

下界の宿に向かい下り、翌日また翌朝に再び戻り登る訳の分からない状態の、

道中となる日程だ。

追分宿から小諸宿へ向かうが、小諸城は立ち寄れず通過してしまった。

小諸と言うと江戸っ子には、都心の旨い立ち食い小諸そばを思い出す。

小諸宿 脇本陣 脇本陣の茶屋「粂屋」(くめや)はリフォームしてあり

泊まれる脇本陣で、食事も出来る。

この2020年8月は此処で写真をしていたら、親切な方が撮影をしてくれた。

 

小諸宿 本陣 国の重要文化財

追分宿から小諸宿まで約13,24km

田中宿に到着した。

途中に見学の出来る江戸時代の有名な力士の、雷電の生家があるそうだ。

田中宿は道路がバリアフリー化されて電柱は無く拡幅されて、かつての宿場の面影は

薄い。

脇本陣跡の高木屋があり、本陣は本陣門のみ残されている。

この道中の2020年の夏の頃は、ウイルスによる自粛で飲食店が休業で、

テイクアウトのおやきと饅頭で、昼飯代わりにしたが少々物足りない。

小諸宿から田中宿まで約9,24km

北国街道の宿場は浅間山の噴火や、河川の氾濫による甚大な被害を被っていた。

この時の道中で訪れた海野宿はこの時点で2020年8月だったが、前年2019年の千曲川の氾濫による甚大な決壊被害の、堤防の修繕工事の真っ最中であった。

現在は工事は完了した模様です。

次の海野宿に到着した。

海野宿は江戸時代は宿場として栄えたが、明治以降は宿場の宿の広さを利用して

養蚕の蚕種業に業態を変えて、当時は欧州など海外に蚕種紙など輸出して発展した。

ああ、野麦峠の小説、映画作品が創作されて、世界遺産の富岡製紙工場で作られた

製品が北国街道やその他の道で、集約地の江戸の八王子に運ばれ浜街道(八王子~横浜の港)で、日本の絹の道(シルクロード)から欧米などに幕末から海外に輸出された。

喜太郎の名曲のシルクロードに相応しい、その長い絹の道中の「シン・シルクロード」は、日本にもあった。


www.youtube.com

北国街道は立派な宿場で江戸時代の造りの建物が保存されており、写真の右にある

二重の「越屋根」は養蚕の為の換気口です。その他宿場には繁栄の証の本卯建・袖卯達(うだつ)もあり、瀬戸内の海の岡山の倉敷を思い出す。

海野宿資料館が開いていたので、養蚕の産業と歴史や道具を見学をした。
揚羽蝶の家紋が有ったのだが、蝶は養蚕産業の象徴にも見えるが、

平家の清盛流と言う事なのだろうか。

養蚕産業は第二次世界大戦までは盛んだったが、化学繊維の台頭で隆盛を終えた。

世界的企業のトヨタも、養蚕産業の機織り機メーカーから、先を読み自動車産業

転身をして成功をしたが、世界情勢や化学技術や生産技術の向上で、基幹産業の移り変わりに上手く対応出来ないと繁栄は続かないが、歴史と伝統は見失いがちだろう。

田中宿から海野宿まで約1,18kmと近いのは当初、海野宿は間の宿だった為だ。

上田宿 北国街道沿いにある、第3セクターしなの鉄道大屋駅

信州大学繊維学部の敷地前を通過して、またおやきを買った。

信州で食べるおやきは旨いのだ。

上田宿は真田氏の街で、真田十勇士像が商店街に点在していた。由利鎌之介像

上田城は先を急いで立ち寄れず残念だった。

上田宿で暑いので、長門牧場のソフトクリームを食べた。

アハッ!実にミルキーだよ!美味かった。

海野宿から上田宿まで約7.86km

上田宿にある上塩尻から下塩尻の次の宿場である 間の宿 鼠宿 鼠宿跡の看板

松代藩の私宿で口留番所があり、人物や物資の取り締まりを行っていた。

松代藩と上田藩の藩境で、御茶屋など休憩所があり、旅人の憩いの場となっていた。

浦安のネズミーランドよりも、先に日本にあった鼠宿。

此処から上田藩の坂木宿に到着する。

北国街道でよく見る、越屋根、卯達(うだつ)の建物の造り。

北国街道沿いの刈屋原ミニパークから見た千曲川の河川。

これから、その千曲市の上戸倉宿、下戸倉宿に着く。

まだ下りが多く、自転車では実に楽な道中である。

上田宿から坂木宿まで約11.45km

坂木宿から上戸倉宿は約3,08km

上戸倉宿から下戸倉宿は約1,71km

動画は有るが写真が無いが、古い江戸時代の街道の風情があった。

下戸倉宿から矢代宿は約4,13km

写真無しの矢代宿から北国街道で千曲川の河川敷の堤防を通リ、しなの鉄道の青く長い鉄橋の掛かる踏切を越えると、丹波島宿に到着した。

鐘馗さん像(しょうき)は昔から邪気払い、防疫の為に鎮座している。

丹波島宿の家の屋根に飾られる。

犀川に架かる丹波島橋のモニュメントには、明治23年(1890年)8月に民間で

初代の木の橋の丹波島橋を、架けたと記載されている。

矢代宿から丹波島宿まで約14,58km

善光寺宿 和風の長野駅前に到着したが、私は電車では来た事は無い。

北国街道は善光寺街道と、言われる有名な参道であった。

栄えた善光寺の街並みの参道を通リ、日が暮れるまでに道中を続けた。

善光寺を過ぎると遂に登りが続く事になる。疲れた頃にハードな事はしたくないが

あきらめるしかない。

丹波宿から善光寺宿は約5,08km

善光寺宿の標高422mから登りが続き新町に入る。

新町宿で吉田を先に飯山街道分岐点の石碑がある。

善光寺宿から次の宿場町の新町宿は約4.38km

そして田子池を通過して約5km程の登って、本日の北国街道の自転車道中は

標高約580mのリンゴ畑の丹霞郷近くで終了した。

初日の1日目は上り坂の途中だが、北国街道と国道60号線(若槻大道り)の交差点で道中はおしまい。

8月と言えどもはや夕闇が迫り、この先も今回の北国街道の最大の標高のヒルクライムが続き宿もしばらく無く、暗闇の道中は景色も見えず面白くも無く危険なので事前に予約した宿に泊まる。しかし、21世紀に江戸時代の宿場巡りを趣味とすると宿場なのだが、困った事に現在は泊まれる宿が付近に全く無い事も多のが悩みだ。

初日の今日はスタート地点の追分宿の標高が高く、ダウンヒルで始まりその後、

標高約150mの間で登り降りを繰り返す、微妙にシンドイ自転車道中だった。

この場所の丹霞郷から眺める事が出来る、長野から新潟までに連なる

北信五岳の5つの内の、飯綱山の眩い夕日を浴びる。

最期は北国街道の折角の本日の獲得標高を、盛大に投げ捨てるかのような、

もったいない急こう配のダウンヒルで、信州中野IC付近までブレーキ掛け捲りで下り、適当に予約した為に約11kmも離れた宿に泊まった。

高い値段でも、宿がない場所もあると言う事だ。

宿の付近に巨大な牛の像があった。

晩飯は美味しい店を宿で聞けた。
次の北国街道の宿場は牟礼宿になる。

明日は野尻湖で、原始肉が食べられるかもしれない!?