東海道五十三次 京街道五十七次 1 自転車旅 未来三度笠 日本橋~保土ヶ谷宿 令和2年1月2020年
中山道をちょこざいな甘口のルートではなく、本わさびのツーンときついが爽やかな江戸時代の
中山道ルートを最大限自転車で、生まれも育ちも江戸っ子のみらい三度笠が踏破する。
想像通りのハードな区間の古の道中を、追憶するが如く走る事は歴史を実感する
達成感があった。
太田宿からは舗装路の市街地となり電波が届くが、クマ対策のラジオはほぼ必要が無い。
国道207号線から高山本線沿いの坂祝町の中山道の小道を登るが
結局は高山本線が中山道を塞ぎ、通れずに国道の207号線に降りてしまう。
中山道のルートをマーキングしただけのサイクルナビでは、良いアプローチは分からない。
(帰宅後、分断は国道からトンネルを抜けるルートがあると気が付いた)
未来三度笠は20分程タイムロスして、新鵜沼の住宅街から眺望の道という展望台のある公園の山道を登ることにした。
展望台までキツかったが、眺めはかなり良くて苦労が報われる。
そこから下ると中山道の一里塚のうとう峠に復帰したが、ここは線路で分断されているので初見では理解しがたい地形だった。
中山道鵜沼宿町屋館を見学したのが、宿場の歴史を語る癖に歴史好きの来訪者には
感じの悪い。
特に男性職員。京都に近くなると宿場資料館の感じは悪くなる法則の理由が
最近分かった。
まあ京都に近づいている事を、その態度で実感する。
加納宿からは長く分岐の日吉の蛙を過ぎて
昼飯は江戸時代の道中の雰囲気を裏切る、喫茶店でカレーとパンケーキとコーヒーという、
未来茶屋でみらい三度笠は道中の食事にした。
赤坂宿は東海道にも、同じ名前の宿場があったな。
垂井宿
そして天下分け目の関ヶ原宿到着した。
日本の歴史上大きな出来事である壬申の乱、関ヶ原の合戦の地が中山道上にあるというのも中山道はパワースポットだからか?
徳川家康最初陣後を眺めて戻ると、またパンクをしていたが最後のボンベを使い手早く空気を入れ
修理をした。
その後関ヶ原の脇本陣などを見学して思うに他県を御国と呼び合い、戦までした約400年前は
今とは別の世界観の日本であり、国内の対立で各々が大義を掲げた戦の後に勝者が天下統一した。
平定後は約260年程江戸時代の平和が続いたのだから、これで良かったのだろう。
そこから移動して今須宿から平安な江戸の世の相原宿の寝物語の里の表記を眺め、そんな宿場だらけの、当時の江戸時代をタイムスリップをして見てみたいと思った。
相原宿
醒ヶ井宿で醤油屋の醤油アイスと甘酒でやっと本格的な休憩をした。町を流れる小川の花は5月だったので少ししか咲いていない。
8月になれば色とりどりの花が、小川を彩るのだ。
番場宿ではあたりも暗くなり始めたら、アナグマが長い顔で民家からノシノシ中山道へ歩いて来た。
みらい三度笠に驚いて民家の奥に消えてしまったが、やはり一応クマに遭遇してしまったが
ラジオはもう使わない。
後日、アナグマは食べると美味しいらしいので、取って食えばよかった。ジビエみらい三度笠だ。
そして夜も更けた鳥居元宿に到着した。
長旅でサドルと擦れていた股ずれが酷くなり、ペダルを漕ぐのが苦痛になったのでオロナインと晩飯を買い、店外の夜のイートインのテーブルで、買った総菜弁当を食べて晩飯にした。
最終日の宿の予約は入れなかったのは、走れるだけ走行距離を稼ぎたかったので
何時でも泊まれるネットカフェ泊にした。
ネカフェは室内の空気が悪く、狭いフラット席は仮眠してもやや疲れが残る睡眠の質の悪さだが漫画やネット情報を得られる。
結局、当時はアニメ化で流行る直前の鬼滅の刃の4巻まで読んで睡眠不足になったが、明日は
今までの道中より楽なままゴールの日である。
そうだ!京都いこう!この昔の国鉄cmのセリフを思い出しながら、この中山道中編もやっと
京都三条大橋で完結出来る。
この中山道中みらい三度笠日記終わらせないと、次のみらい三度笠の書きたいネタが書けない。