みらい三度笠の道中ブログ

みらい三度笠が道中をします。

旧道☆北陸街道の自転車旅 中山道との合流地点の鳥居本宿まで行く その5 福井宿から最大の難所の木の芽峠を越えて木之元宿まで

糸魚川から連日の道中4日目の朝(2020年の旅から再開5日目)

今回は九頭竜川から、実質的に約90km以上の道中だった。

ひきわり近江納豆は美味かった。自転車道中は体力勝負なので納豆は欠かせない。

今日が今回の北陸街道(北国街道)自転車旅の最大の難所の

標高630mの林道越えの木の芽峠越えがある。

未踏の未舗装林道は、ロードで越えるには不安が大きく、ましてやハンドルが右ブラケットあたりからグラつき、折れかかり状態が何時、悪化し折れないとも分からない。

ハンドルに負荷をかけないよう、気を付けて昨日の終点の浅水宿まで九頭竜川から戻る。

 

浅水宿本陣跡

鳥羽の一里塚跡

水落宿跡

鯖江宿 鯖江韓進屋敷跡

武生(府中)総社通りは殿中が無く、電線が埋設されている。

いわさきちひろの生家は此処にあった。

私、みらい三度笠が幼少の頃に読んでいて、現在も保存してある「むかしむかし」

という絵本のイラストの方だ。みらい三度笠が日本の昔話を巡るような道中を、

するようになった理由は、幼少期に読んだその日本昔話の絵本の影響かも知れない。

ちなみに、フリー素材のいらすとや氏は、いわさきちひろさんに画風が似ているような気もする。

その隣の和菓子屋さんで、出来立てのおいしい豆大福と草餅を購入した。

このお餅のお陰で、今日の道中でハンガーノックにならずに済んだ。

往還一里塚跡

鯖江宿の先で、北陸街道こと北国街道はJR北陸本線が横切っているので渡れない。

こちらの鯖波トンネルを通過する。

湯尾宿の高札場跡

ここから標高100m程の湯尾峠の林道峠越えになる。

峠の区間は短いのだが、看板がどうやら押し歩きで自転車で入るのも躊躇われた。

今回は通過は止めた。

迂回して湯尾隧道トンネルを、通過することにした。

待ち時間3分だが、狭く長いトンネルなので信号無視で対向車が来るかも知れず、

自転車はなかなか通りずらいが、無事に北国街道に戻る。

昼飯はお蕎麦と厚揚げです。

今庄宿に到着した。 今庄宿は山岳地帯直前の規模が大きい宿場だった。

こういった歴史的建造物の街並みを、今の日本で今後も維持する事は大変な事だと

思う。

今庄宿本陣跡

そして今庄宿から、難所の標高630mの木の芽峠越えをする。

二ッ屋の宿場跡 一里塚

二ッ屋の宿場跡の御前水問屋跡 この先は未舗装区間になる。

北国街道の看板は倒れており、矢印の道は藪が茂り過ぎて通れないので

スキー場のゲレンデの凄い坂を自転車を押し上がるが、野生の狸がビックリして草むらから飛び出して逃げて行く事が、2回ぐらいあり周囲は野生動物しかいない。

熊や猪と遭遇はしたくはないが、狸は走るのが遅い生き物だ。

木の芽峠に向かい自転車を押し進む。水の補給を忘れてしまい喉が渇いた。

言奈地蔵堂

 

木の芽峠の頂上に到着した。

木の芽峠の山頂で初めて人に出会って、この峠に訪れる方達についてお話が出来た。

下山も大変で、狭くて細い道を自転車を携えて降りるには、結構注意が必要だった。

踏み外すと滑落の危険のある下山なので、日没前に下山をしなければならない。

MTB用SPDシューズはソールが固いので、踏みしめる長い下り歩きはやや疲れる。

下りの衝撃で折れかかりのハンドルが、折れてしまわないか心配だったが無事に下山が出来た。それ以外は今回の北陸街道・北国街道道中はパンクやメカトラブルも無く、

体も絶好調で天気もずっと晴れが、最後まで続いた幸運な旅だった。

水戸藩天狗党の党首の武田耕雲斎本陣跡

越坂峠と言う小さい峠を越えて、腹は空いてはいないが、やっと自動販売機を発見した。ペットボトルを2本購入して、1本は水で一気に飲み干して生き返った。

前日の¥999円のレシートは、まさかこの地でバス停の銀河鉄道999の看板に

巡り合う伏線だったか?

銀河鉄道といえば、みらい三度笠にはどちらかと言えば宮沢賢治の方だと思う。

とはいえ銀河鉄道999も名作・名曲だと思う。

敦賀(つるが)に到着した。

気比神宮大鳥居 

今回は急ぎ旅なので、此処で無事に下山出来た事を感謝した。

2017年に車中泊で、気比神宮にお参りに来た事があります。

成長してイケメン化した哲郎も良いが、不細工な初期の哲郎も銅像で観たい。

アナライザーはカッコ良い。

疋田宿に到着した。

かつては2.8mの川幅で川に逆流して船を引き琵琶湖へ向かい運搬をした。

塩津峠の峠茶屋に到着した。 越前から近江に移動する此処は、福井県滋賀県の県境となる。

塩津に到着した。 予想より3時間ぐらい時間が掛かって日が暮れだした。

万葉集紫式部の句碑

日没で日が暮れて旧道の山越えはもう無理なので、藤ヶ崎トンネル、賤ヶ岳トンネルで走り抜けた。すっかり夜の余呉川を橋で越える。

木之本宿に到着した。波乱万丈の一日だったが無事だった。

冒険的な達成感があった。

宿への到着が遅れると宿に5時に電話したので、遅くなったが昼食以来の、

晩御飯に宿でありつけた。

明日は最終日の中山道合流地点の鳥居本宿に着く。

旧道☆北陸街道の自転車旅 中山道との合流地点の鳥居本宿まで行く その4 金沢宿から九頭竜川を渡り福井宿


糸魚川から連日の道中3日目の朝の金沢駅の様子。(2020年の旅から再開4日目)

2022年5月の百万石まつりは、明日から。

今回で加賀百万石の参勤交代の道を中山道を含めて完全走破した、みらい三度笠は

百万石ローディと言っても過言ではないだろう。しかし今日もグラつくハンドルが折れないか、心配を抱えてのヒヤヒヤ道中が始まる。

 

この道中のタイトルは北陸街道の自転車道中としてしまったが、加賀はやはり

北国街道と呼ばれていて、この道中のタイトルをどうしたらいいか悩ましい。

この先でまた、北陸街道と呼ばれるのだ。

野ノ市 市郷土資料館

青木家臨川書所 旧加賀藩本陣

手鳥川を橋で渡ると、手取フィッシュランドのテドリンの後ろ姿を見てから栗生宿へ

寺井宿に到着したが、5月の朝から気温が夏並みの暑さ。

梯大橋を渡るともうすぐ、小松宿である。

 

小松宿から、串茶屋町に着くと新潟のある場所と凄く似ていて驚いた。

月津一里塚 月津宿になる。

今は田んぼとなった、七曲り跡。

七曲とは敵の軍勢の勢いを落とし、迎え撃つ為の道の造り。

動橋宿に着いたが今日は本当に5月でも暑いので、栗橋宿で購入した冷たい葛アイスを食べた。

葛アイスは小豆バーのように固くなく、柔らかくて食べやすいのにあまり売っていない。

このスイーツの合計の会計が偶然に税込み¥999というゴロの良さだった。

この日の道中の宿は、九頭竜川付近で、後日の宿場で街起こしの

キャラクターの銀河鉄道999のメーテルと、出会う事となる伏線になっていた。

 

都戻り地蔵と一里塚

この先の加賀温泉から少し離れた場所に、1300年の歴史の山中温泉がある。

2017年にサイバー大八車で山中温泉に行った時の、道の駅に展示されていた

電車しらさぎ

かつて加賀温泉から山中温泉までを運行していた。

かつては北前船で板子一枚地獄の底の労働を終え、1年ぶりに船頭達が労を癒し、

日本各地の民謡などを披露したのが、この山中温泉だった。

今回道中では行っておらず、この写真は2017年に旧型サイバー大八車の車中泊

入浴した時の物。

公衆浴場の温泉は湯船はやや深い大浴場で、とても良い温泉だった。

大聖寺宿

大聖寺藩関所跡

大阪一里塚跡 

 

またダートをフルカーボンロードの、700x25cタイヤで走る。

右ハンドルがブレーキブラケットから、折れかかりの状態は変わらないので

今回の道中では持って欲しい。

橋の宿跡 現在は静かな山林のハイキングコース

国境の一里塚

加賀と越前の国境にある、お国境名号塔

これで越前入りだ。

往来安全の名号塔

浄土宗の蓮如上人所縁の、蓮如道とも言われる北陸街。

千束一里塚 北陸街道には珍しくこんもりと塚の上に木が生えている。

よく一里塚は癒しの道中の空間と呼ばれるが、もはや廃れた現代において

涼やかな風が流れ、癒されたのはこの千束一里塚が初めてだった。

マイナスイオンが出てます。

金津宿本陣跡 願泉寺 

金津宿は本陣が2つあった。

炙りまぜそばチャーシューと餃子を食べる。さっきは甘い物だけだったので。

下関一里塚 田んぼになる前は七曲りの道だった。

現在は田んぼになったが、かつては七曲りが此処にもあった。

この辺は田園風景が広がる。

 

舟寄、長崎宿跡 コシヒカリの発明者の出生地。

九頭竜橋北詰めを渡る前の、稲多宿の渡し跡

九頭竜橋を渡ると舟寄宿に到着した。

福井に到着した。

松本荒町一里塚跡 住宅街にある。

九十九長寿橋で足羽川(あすわ川)を渡る。

今日はレシートの¥999円から始まり、九頭龍川やら九十九橋やら9を見かける

事の多い1日だった。

玉江の橋は芭蕉の句に読まれるほど芦が茂っていた。

福井県のこの辺になると北陸道は交通量も多く、人口も多く感じる。

今日の道中はこの荒井一里塚の先の鯖江宿で終了。金沢から約90kmの道中で

また宿のある九頭竜川に戻るので、更に距離が延びる。

旧道宿場旅は、現在は宿も無い事が多いので泊まるには宿を探しに別場所に移動する

手間が掛かり、大変である。

宿に着く前に晩飯にする。

会計後にスーパーでイートインで晩飯の、カニを食べる旧道系ユーチューバーで

あった。荒探しをされない為に、丁寧にテーブルを綺麗にした。

其の後、宿で洗濯を出来なかったので衣類を拭いて風呂に入り良く寝た。

明日は今回の北陸街道自転車旅で最もキツイ日程で、無事に終える事が出来るだろうか。

旧道☆北陸街道の自転車旅 中山道自転車旅の鳥居本宿まで行く その3 魚津宿から倶利伽羅峠越えで金沢城下まで


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北国街道の道中を再開してから2日三の朝の魚津宿を出発する。

ハンドルがブレーキレバー下から折れかかり、少しグラつくハンドルの右側のままの状態だが、自転車店も無く本日の最後に訪れる難所の倶利伽羅峠越えをするしかない。

破断させない様にそっと、カーボンロードバイクの700x25cタイヤで、

ダートの衝撃を受けないように、木曽義仲で有名な倶利伽羅峠

北陸街道の林道も走る事にした。

この辺は北陸街道と呼ばれるが、金沢に近くなると北国街道と呼ぶことが多くなり

この道中のタイトルをどうするか悩ましい。

滑川宿の坪川の一里塚

滑川宿のほたるいか群遊海面を見学に寄り道をした。

夜になるとほたるいかが美しい青く輝きを放つ海面。

美味い富山のほたるいかだが、旋尾線虫があり生食は不可だ。

滑川宿から水橋宿を通過して、次の岩瀬宿の富山港線岩瀬浜駅に北前船の歴史が書かれていた。

東岩瀬宿は陸地の北陸街道の宿場と、北前船で栄えた東岩瀬回船問屋型町屋の

港として海からの宿駅としても栄えた。北前船日本海側の寄港地の文化の共通性を

もたらした。回船問屋は大阪から北海道までを1年かけて巡り、各地で売り買いをする

江戸時代から明治時代までの、総合商社だった。

そして、これが2020年にサイバー大八車で行った、青森県の常夜灯公園で

みらい三度笠が撮影した、復元された航行可能な北前船・弁財船のみちのく丸。


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偶然が重なりこの道中の後の2022年5月25日に、

演歌歌手の五木ひろしが新曲の「北前船」をリリースした。

今回の道中で東岩瀬宿に初めて訪れたが、この日が岩瀬諏訪神社の春季例大祭の日とは

知らなかったが、岩瀬曳山車祭が行われていた。

北前船の船体のごとく、しっかりした車体の山車の木製の車輪がギィーと音を立てて、曳かれて進む。その上の飾りが、たてもんと呼ばれる。

夜になるとたてもんは発光し、挽き山車同士がぶつかり合う「けんか祭り」が始まる

約350年の歴史と伝統の祭り。

街並みも歴史を感じさせる。

下村宿

小杉宿 道標 左いわせ 右とやま と書いてある。
高岡城址は加賀藩城址で、1906年に大火に見舞われた富山城の代わりに、

築城されたが1615年に徳川幕府一国一城令により、廃城になって米蔵などに

使われた。

高岡宿 御本陣跡

昼食は回転してない回転寿司店で、氷見で捕れた地魚などを食べた。

漬けほたるいか。青く発光してるほたるいかを一度は見たいものだ。

往還の松という加賀藩が加賀道(北陸街道)に植えた松は街道沿いにわずかに残っていた。立野宿を通過して、福岡宿に入ると橋の袂に三度笠が描かれていた。

越中福岡宿は菅笠の産地とのことなので、みらい三度笠としてはいっぷくするしかない。

安納芋ポタージュは甘みがあった。

安納芋アイスは安納芋の味で美味い。

QR決済も対応していた。同じ建物に雅楽の館がある。

薄氷本舗 五郎丸屋 宝暦二年創業1752年もの歴史の店で、和菓子を購入した。

砂川橋一里塚跡

本日の難所の倶利伽羅峠に到着した。ここは木曽義仲平維盛が合戦し木曽義仲

夜襲の火牛の計で、谷に落とされ平家軍は敗走した。

この時、ドライブコースか歴史散策コースにするか悩んだが、右ブレーキレバー

下から先のドロップエンドまでグラつきは、今の所は悪化はしていない。

このハンドルの状態で、700x25cのスリックタイヤのカーボンロードバイク

林道ダートの歴史国道で、倶利伽羅峠を超える事にした。

対策としては右ブレーキレバーのブラケット握りせず、右はハンドル上面を持つ。

フロントブレーキはハンドルの折れかかった所に負担がかかるので、ダウンヒルでも控えめにして、シフト操作も多用しない固定ギア気味に走行する。

ダートのダウンヒルでリアブレーキを多用すると、タイヤがスキッドして滑り、

薄いロードタイヤの接地面や、弱いサイドウオールに穴が開くと修理不能

タイヤバーストとなり、今回の道中が完璧にこれで中止となるのだ。

以上を気を付けて、標高260mの倶利伽羅峠に登った。

アスファルト道路もここまで、ここから先は担ぎ上げたり押あげたり乗ったりした。

たるみの茶屋跡

天地峠茶屋跡 参勤交代から昭和34年まで続いたとのこと。

昭和の中期頃まで、牛は荷物を運んだ。

火牛の木像があった。

立山の砂坂一里塚には、日本庭園で竹筒に水を貯めて、コーン!と音を鳴らす

ししおどしが、山中で音を鳴り響かせていた。

猿ヶ馬場の平家本陣跡

源平倶利伽羅峠古戦場跡 

火牛像は良く管理されていて、ピカピカと綺麗だった。

倶利伽羅峠展台では、地源平合戦ドラマがスピーカーで周囲に響き渡る音声で聞ける。

源平供養の五輪塔が安置されている。

此処はベンチやトイレもあるので、休憩して五郎丸の和のスイーツでおやつに。

竜ヶ峰城の手前で、猪が捕獲されたばかりのスマホ写真を見せてもらえたが、

中型犬サイズで道中で、猪と遭遇したくないと思った。

竜ヶ峰城址を過ぎ無事にハンドルも折れず、パンクもせず無事に

倶利伽羅峠越えが出来た。人里に降り竹橋宿を過ぎる。

津幡宿の、おやどばしの奴さんがお出迎えしていた。

5年前の2017年は日本唯一の砂浜の国道である、石川県の

千里浜なぎさドライブウエィをサイバー大八車で加賀城下町に行った。

2022年5月は、カーボンロードで加賀道(北陸街道)で加賀藩の城下に到着した。

この辺から北陸街道とは呼ばず、同じ道中が北国街道の表記に変わる。

加賀藩と言えば江戸の中山道の本郷の東大に、加賀藩江戸上屋敷跡がある。

川柳で、本郷もかねやすまでは江戸のうちと詠われているので、

東大辺りは上屋敷じゃないと言われるが、これは川柳の間違いで

実は川柳は五・七・五のリズム感重視で詠む定型詩であって、

江戸時代のパリピ的に地図上で、事実と異なっていても無視していたからだろう。

実際の江戸の墨曳・朱曳は中山道の板橋宿あたりまでが江戸のうちだった。

これで加賀藩の参勤交代の道を、中山道を含め自転車旅で道中を完走したのだ。

みらい三度笠が、百万石サイクリストになった。

再開2日目の本日は金沢城下までの道中でおしまい。

2日目魚津宿~金沢城下走行距離約91km程

翌朝に立ち寄った金沢駅は木造で迫力がある。

今回は北陸街道をロードバイクで道中する事が最優先で、金沢を観光していないので

5年前の2017年サイバー大八車で親不知から、金沢に行った時の写真です。

加賀藩 金沢城公園の五十軒長屋

兼六園

近衛町市場で寿司を食べて、のどくろの旨さを知った。

5年前は金沢のレンタル自転車で金沢市内を観光した。

旧道☆北陸街道の自転車旅 中山道自転車旅の鳥居本宿まで行く その2 糸魚川から魚津まで 2022年5月に道中再開


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北陸街道の自転車旅を、2020年8月に糸魚川の姫川にて一時中断してから

2022年5月に再開する事にした。あんまり乗り気ではない最大の理由を語ろう。

何故、中断したと言えば北陸街道の糸魚川から先の、北陸街道の自転車旅の

最大級の難所である、親不知に至る洞門トンネルが、道幅の狭く

歩行者や自転車の通行の為の空間が無い。

自転車で走るには、あまりに危険なトンネルだと知ったのは、2017年にドライブで旧サイバー大八車で、糸魚川ー静岡構造線的なルートで温泉巡りドライブを

した時だった。

その時の2017年の写真です、当時の姫川温泉で温泉に入ったがいい湯だった。

看板の絵はたぶん、奴奈川姫だと思う。

此処も翡翠が採れる。その後親不知に車中泊をする為に、旧サイバー大八車こと

クルマで通過した親不知付近のトンネル内の無余地ぶりには驚いた。

自転車での通過は、凄く危険過ぎると感じたからだ。

以上、5年前の2017年の旧サイバー大八車での車中泊の写真は今回はここまで。

2022年5月にトンネル通過の不安を振り払い、北陸街道の自転車旅の最大級の

デンジャーゾーンの難所から再開する事にした。

それが、みらい三度笠の杞憂で済まない事態になる事だと、この時に既にカン付いていたのかも知れない。

輪行で上野発の北陸新幹線はくたかで、約1年9か月ぶりに糸魚川駅に到着した。

糸魚川市は「古事記」や「出雲風土記」の古代文献には高志国(福井県から新潟県、山形あたり一帯)があり、沼河比売と言う姫が居た。

コシヒカリ米はその高志、越(コシ)が由来だそうだ。

 

糸魚川は太古より翡翠(ヒスイ)の産地で、低温で高圧力の地質帯の沈み込みのズレで発生する。
駅隣のヒスイ王国館は翡翠展示コーナーもある。海岸でヒスイ探をしたいが

自転車道中の時間に余裕が無いので、糸魚川翡翠のキーホルダーを購入した。

春よ来い、早稲田大学の校歌など有名な曲を、幾つも手掛けた相馬御風氏は

越の国で採れたと言われていたが、1938年に失われた伝説と化した、翡翠の勾玉のありかを糸魚川の周辺に有る事をつきとめた。

約1年9か月ぶりに北陸街道の道中を、遂に再開した。

8号線を青海宿へ道中開始した。

青海宿本陣清水家跡を過ぎる。

此処から先の子不知と呼ばれる区間は、古より江戸時代までは海岸沿いの波打ち際を歩いた。

そして現在は当時の海岸沿いの道は、開発など環境変化で姿を消して通行は出来ない。

今回の北陸街道自転車旅で最大級の現代的な難所の国道8号線洞門区間の、勝山側から

6つの洞門を通過をした。車で来た時はなんて事はない狭い洞門でしかなかったが。

だが今回はわざわざ自転車旅であり、やはり嫌な予感は的中した。

子不知の最後の洞門の駒返洞門で最悪な事態が発生した。

駒返洞門だけ内部が暗く、サングラスした状態だったので暗さで視界不良で平行感覚を失い気味になった。

ダウンヒルのカーブと言う、ロードバイクにはシビアな操作が必要な状況だ。

しかも何故か、ハンドルがブレ出したのだ!後続車の存在はトンネルに響き渡る航空機のような轟音でしか認識が出来ないので、近距離で煽られてるような物凄いプレッシャーを受ける。恐怖心で肩に力を入れずに平常心を保ってなんとか落車せずに、

無事に駒返洞門を脱出する事が出来た。

 

イメージ図

エリア88ならぬエリア駒返洞門を抜けて、明るい外の世界に戻るとマーベラース!

正に、今日もまた生き残ってしまった、という感想であった。

北国街道を旅をする方々には、この区間だけは全くお勧め出来ない。

ステム一体型カーボンハンドルがブレた原因を調べると、なんと右ブレーキレバー辺りから折れが発生してバーエンドまでが、少し動くがまだ持ちそう。

ブレーキレバーの固定バンド金具辺りで、ハンドルがひび割れていた。

カーボン繊維で辛うじて、繋がっている。

折れた原因は以前の落車と、駐輪中に何度も風が吹く度に倒れた事だろう。

軽いカーボンハンドルはアルミより強度が足らない。再開初日から北国街道自転車旅の中止にするか悩んだが、折れたら道中は完全に中止だ。

この状態が何時まで持つか分からないが、修理は自転車店も無いので無理である。

とりあえず右ブレーキレバーのブラケット持ちは負荷が大きいので、

右側はハンドル上面のみを持つ事にした。鳥居本宿までまだ持つか不安を抱える。

トンネルを抜けると、糸魚川市歌と言う場所に出た。無人駅の親不知駅があった。

5年前の旧サイバー大八車での車中泊以来の、親不知ピアパークに初めて自転車で到着した。5年ぶりのミリオン像。

糸魚川ー静岡構造線はフォッサマグナの西側の事で、柏崎ー千葉構造線が東側になる。

タラ汁を食べたが、新潟コシヒカリ米も魚も美味くて幸せ。

アンコウのから揚げはジューシーでお勧め、ヒスイアイスはお米が入っていて美味。

糸魚川翡翠の勾玉のお土産も此処で購入したが、棒状の物より勾玉の方がヒンヤリする。

昼飯の後再び洞門を車の来る前に急いで抜けて、自転車通行禁止の天険トンネルに到着した。

ややこしい複数ある親不知の周辺の道と鉄道跡を整理すると

1第一世代 古代から江戸時代、明治時代初期までの海岸沿いの波打ち際の道。

2第二世代 明治天皇巡幸が上路だった事をきっかけに明治16年に作られた

       昭和までの国道8号線。

3第三世代 昭和41年に完成した現・国道8号線天険トンネル

4第四世代 北陸自動車道 

5上路 険しい山越えのルート

6旧北陸本線トンネル 海岸沿いを通過する部分的にトンネルが残っている。

7親不知コミュニティーロードは、2の第二世代の道です。

天険トンネルは自動車専用道路で歩行者・自転車通行不可なので通れない。

7の親不知コミュニティロードを進んだ。

このように親不知は道が多過ぎて、今回の道中の通過の為に調べる事が大変だった。

親不知記念広場に到着した。

親不知を見渡すことが出来る。

砥如矢如(とのごとくやのごとし)と刻まれる 明治16年完成の国道8号線 現在の親不知コミュテーロード

砥石の如く滑らかで矢の如く真っすぐな道、という意味を完成記念に刻んだ。

みらい三度笠は、矢の如し、砥の如しと、読んでしまった。

ぬーなとジオまる。

北陸本線トンネルへの階段。

市振宿 明治天皇御小休所跡

市振宿 加賀藩の御関所跡 加賀道(北陸街道) 

越中宮崎から泊に向かう朝日町元屋敷に到着した。

松尾芭蕉の句碑 早稲田の香や分け入る右は有磯海 

確かに朝から空気の汚れたお江戸東京から、新幹線で一気に到着した

北陸街道の清浄な空気と爽やかな風は、深呼吸したくなる心地良さ。

今回の道中では、早稲より氷見まで畑には金色の麦の穂が多かった。

勾玉オブジエ 付近の宮崎・泊や入善海岸では翡翠の原石が見つかる。

舟見宿本陣跡

 

JR黒部宇奈月駅 

黒部渓谷トロッコ電車が展示されている。

箱根清水 かつては隣に茶屋があった、とても美味しい癖のない湧き水だった。

北陸街道は店や自動販売機が少ないので、道中で水分補給は出来る時にした。

東海道の箱根との関係は無いのかな。

片貝川の集落跡

魚津宿に到着した。再開の初日から現代的な道路事情による難所の親不知で

ハンドルも折れかかっていた。さらにみらい三度笠の睡眠不足も相まって

心身共に疲労した状態で宿にたどり着き、本日の道中はやっとこさ終了した。

しかし、今日購入した和のスイーツで、元気はつらつバイバイン

本日の距離 糸魚川駅~魚津宿 約54km

あと4日の北陸街道の道中が続く。






















 

旧道☆北陸街道の自転車旅 中山道自転車旅の鳥居元宿まで行く その1 高田宿から~鳥居井本宿まで行く その1高田宿~糸魚川宿


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2020年8月に中山道と北国街道は、追分宿より分岐して再び中山道と鳥居井本宿で

合流する江戸時代の北国街道の一応の終点の、新潟の高田宿までを2日間で走り

翌日に更に直江津から、日本海側の糸魚川までを走ったのが2泊3日の道中記です。

自分でフレームから組み上げた、フルカーボンロードバイクの700x25cの

タイヤ仕様で、ダートも走破した。

北国街道高田宿から、中山道と再び合流する北陸街道の鳥居本宿までの

歴史のある道の名称の定義は呼び方は、加賀道でもあり善光寺道とも呼ばれ、

同じ道がダブルネームどころではない。

難しい事を考えたり、調べる暇があるなら時間の無駄なので、とにかく

実際に旧道を走る事を優先した、江戸っ子のみらい三度笠には詳細は、

ハッキリと分かりかねるので、このブログでは追分宿~高田宿が

北国街道と定義して、高田宿~鳥居井本宿を北陸街道として、勝手ながら分かり易く

一応単純化させて頂きます。・・・はい、無理ですね。

2020年の暑い8月の北国街道の自転車旅を中山道追分宿から高田宿まで走破した後に、更に直江津に行き

北陸街道に道中を進めて、中屋敷宿、長浜宿、有馬川宿、名立宿、能生宿、梶屋敷宿、糸魚川宿の姫川まで約50kmを2日間で走った。

直江津駅

 

長浜宿のこの原生林状態の場所も北陸街道なのだが、今回はロードバイクなので、

無理に草むらをかき分けて、湧く湧く動物王国にムチャにゴロ~と進む暴挙を

しなくて良いと言い訳した。

有馬川宿付近の北陸本線の軌道跡地のサイクリングロードのトンネルで、

人面自転車トーマス号として、古の軌道を汽車ポッポ道中した。

本気で北陸街道は海岸沿いは近代に道路が整備されているので、人力と牛馬のみの

江戸時代と現代の土木技術の道路整備状態とでは、通行のし易さは大きく違う。

スムーズに能生宿に到着した。

マリンドーム能生で食事と休憩をした。

昼飯は、美味しいカニ味噌飯と炙ったイカで良い。

しみじみ飲めばしみじみと、リアルゴールドを飲むスパークする役者バカならぬ、

旧道の道中好きのスパークする自転車バカだった。

2020年8月なのでアイスがすぐに溶けて崩れる前に、食べきる。

糸魚川宿の雁木通りは、旧加賀街道の木製のアーケード街で、2022年5月の再訪時には更に綺麗になっていた。

2020年8月の北陸街道の自転車道中は、高田宿~糸魚川宿の姫川まで終了。

道中の苦労が嘘みたいに速い新幹線で、東京まで2時間程で戻った。

約二年近く放置して、日記にすると思い出せないし詳しく調べる気もしない。

三歩を歩いて忘れてしまうので、チラシの裏感覚で気軽にブログをメモって

おくべきだな。

北陸街道の中山道追分の鳥居元宿までの、完走の為の再開は随分先の

2022年5月であった。

                              つづく

幻のみらい三度笠の中山道自転車旅!検索結果に異変が?世界のグーグルセンセイ。

 みらい三度笠の中山道自転車旅の記事は一時は、グーグル検索で上位だったのだが

つい最近から、中山道自転車旅でグーグル検索しても全く見つけられない。

最近の私のブログは内容が道中の事ではないので、検索からバンされたかと思ったが

私の書いた他の甲州街道日光街道などはまだ検索でヒットするから変だな。

この問題の解決方法を、グクッても対処が良く分かりません。

イギリス道中の記事は、私が故意に写真無しにしたら検索から消えたが。

今回は原因もグーグル側の、手動によるものか自動なのかサッパリ理解出来ないのだ。ブログを書くより6倍、7倍の苦労と時間を費やし動画制作したのに人気も無いので

人生の貴重な時間を奪われて、報われない感じの私の道TubeはYouTube内の検索では

中山道自転車旅では検索にヒットするのは謎だ。

細々とコッソリブログを人知れず、今後はブログを書こうと思う。

みらい三度笠茶屋の清涼飲料の飲みログ 

 暑くなってきたのでよく飲むであろう、みらい三度笠の飲み物は基本は水だ。

水は一番速く体に吸収されるので、水分補給に最適だからだ。

飲んでも食べ物として、体内で分類されてから消化して、水分と分離をする工程がある遅い水分補給となるが、美味しいペットボトルと缶のお茶とブラックコーヒーと

炭酸水の私のランキングを発表しよう。

お茶は、綾鷹、お~い!お茶の普通濃度、生茶だ。

抹茶ラテはほぼ飲まないが抹茶の味のする、綾鷹抹茶ラテが旨いが、

サントリーボス抹茶ラテは抹茶の味がしない。

コーヒーはブラックだと香料や乳化剤の無い物は上島珈琲で

香料、乳化剤入りはジョージア、コスタ、ファイア

ボスのみならず、サントリーは製品全般的に一味薄い。

それでもコンビニでよく見る理由は、原価率だろう。