みらい三度笠の道中ブログ

みらい三度笠が道中をします。

日光街道 自転車旅 未来三度笠 令和元年八月 草加宿~野木宿 2日目

 

ここから日光道中の続きです。

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今回は草加宿から再開だ、札場河岸公園から草加松原綾瀬川沿いに江戸時代の雰囲気を残している。

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草加は歴史も残さないで煎餅だけと思ってましたが、こんな凄い浮世絵に見られる立派な太鼓橋が矢立橋、百代橋の二つもある高レベルな粋な町とは江戸っ子でも知らなかった。

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外環の高架下を潜ると壁画があり芭蕉奥の細道の絵だった。

創作の古の旅人ではなく、リアルな旅人の松尾芭蕉にとっての本陣は代表作の奥の細道なのだろう。

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越谷宿は通過するだけで、粕壁宿に入ると商店街のシャッターがほとんどが浮世絵の街だった。

場所が本来は春日部市なので、クヨンしんちゃんネタがあるかと思うが全くありません江戸時代押しの街だ。

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杉戸宿に入る未来三度笠は江戸時代みたいに道中にお茶屋で休憩してみたかったのだが、道中のお茶屋を発見したので一服してみた。

創業は明治からで、メニューは今風を選択したが、なかなか美味かった。

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杉戸宿の高札場があった。

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日光街道沿いは七夕の飾りがあったが、今は8月なので良く分からなまま幸手宿になる。

此方も七夕飾りがあり、幸手宿は今の道中の日光御成街道が合流する。

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中川を過ぎて国道4号から江戸時代の日光街道の道走り途中で権現川沿いにを走りまた江戸時代の日光街道に左折して分岐する所に栗橋ナントカ劇場があったので、俺の風のように通過した。

栗橋関所跡付近の利根川橋あたりは工事が盛大で利根川を渡り難い。

利根川を渡ると中田宿であるが、直ぐに古河宿になった。サイクル野郎の未来三度笠にはコガ・ミヤタのイメージが湧くが

古河宿との関係があるのだろうか?

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左折して入る横町は茶屋口と言い、将軍や大名が交流したり宿泊や休憩をする古賀藩主の茶屋町。それにつけても最近見ない、お菓子なおぢさんが牢獄?に居ました。スマホ歩きとトラブったらしい?

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古河宿の道は車がスピードを出せないように障害物のある、珍しい車道が印象的だった。 

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野木宿に入り今回は此処まで。

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この続きを1年以上放置していますね。ブログ移動記念に更新します!

日光街道 自転車旅 未来三度笠 令和元年八月 日本橋~草加宿 1日目

www.youtube.com

 

矢継ぎ早やに甲州道中の次は、日光街道二十一次の道中の始まりである。

もちろん江戸時代の日光道中ルートを、ネットで正しく調べた道中記です。

未来三度笠が真夏の日本橋に着くといつもと勝手が違う、東京2020オリンピックの五輪マークのオブジェが設置されていた。その後すぐに撤去されてオブジェは2020年10月の現在は日本青年館に展示されている。

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これは日光道中の金メダルマンに未来三度笠が、なるしかないという事だろうか。

日本橋から北へコロコロっと軽快にタイヤを転がし、コレド(これ江戸の略か?)という建物へ右折して高速下は通れないので迂回して小伝馬町、大伝馬町、馬喰という馬の使用方法の流れの町名を過ぎて、

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神田川から隅田川に流れ込む直前架かる浅草橋を渡った。

蔵前から駒形はおもちゃの町で、バンダイ本社ビル前は日光道中の旅人に向かって駈けるア〇パンマンや様々なキャラクターの列が

白くゆがんで真っ赤に燃えて、ジェットストリームアタックを仕掛けて来た。

未来三度笠はニュルンと、駒形のどぜうのように躱した。

駒形橋のたもとには駒形堂。願いが叶うと駒の型を作り堂内に奉納する。

ちなみにバンダイ成功の元の、ガンダムを運ぶ白馬ことホワイトベースは木馬とよく連呼されている。

雷門こと風雷神門に到着をしたが、益々観光客が溢れかえり過ぎレベル。

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日本堤になり泪橋日光街道と商店街を挟んで並走する道に、ヘアサロン的にスネオヘアーを靡かせる、あしたのジョー像がある。

南千住駅手前で線路を横断する為に、えぐり込むように登るべし。江戸時代の小塚原刑場跡、ずばりな名前の骨道りの先が

国道四号線の素戔雄神社となります。

千住大橋を渡ると足立市場があるが江戸時代もずっとやっちゃば通リだ。

ここに街道沿いよく見かける松尾芭蕉奥の細道矢立ての碑。芭蕉のお付きの人が前回の甲州街道上諏訪に眠っていたと後で知った。

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千住一里塚を過ぎるが暑いので冷たいものが欲しいので、コンビニでガリガリ君を見たが未来三度笠には北千住キャラのゴリポンくんのパクリにしか見えずアイスは辞めて、店内ドリップのアイスコーヒーにして残りの氷をボリボリ食べ熱中症対策に

アイシングしたここは千住宿だ。

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荒川の千住新橋を越えるが、江戸っ子の未来三度笠には何時も橋が長い荒川が千住大橋で、隅田川が千住新橋じゃねえか?と思っていたが、今回の日光道中で歴史的な橋の建設時期の経緯が

その名の由来だと納得した。

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橋を越えたら左に降りて国道4号線と別れ、梅島駅という古風なイメージのガードを抜けて毛長川直前で右に曲がり

国道4号を横断して毛長川を越えると、草加宿に到着するがこのあたりは足立区なんだか草加市なんだか入交まくってる。

草加せんべいが有名であるが、おせんさん伝説は諸説あるが草加は今まで煎餅だけしかないイメージだったが

昔はかなり栄えた宿場だったと今回見直した。

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草加宿の無料休憩所の神明庵で休憩をして、大変のどが渇くので冷たい麦茶を係りの方に頂いた。

一気飲みしておかわりさせていただいた、良い休憩所でした。

今回は此処まで。

甲州街道 自転車旅 完走! みらい三度笠 令和元年七月 韮崎宿~下諏訪宿 2019年

 


日光御成道 自転車旅 2 2020年 8月 大門宿~幸手宿 合流地

 

今日が甲州道中自転車旅も最終日であるが、今にも雨が降り出しそうな曇り空の天気の

韮崎宿の宿から出発した。江戸日本橋より韮崎宿は40宿目で約154kmの距離だ。

 甲州道中とR20甲州街道を交互に繰り返し、Vターンして桐沢橋を渡る。

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上三吹を過ぎ農業用水路が並走を続けて所々に、水力発電装置の水車が設置されていた。

今や懐かしい交通安全標識などもあり、レトロな昭和を感じました。

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この道中記は、みらい三度笠が結構正確な江戸時代の道を走り、古の旅を追体験しつつ寂れ行く

80年代からの日本の失われた30年の諸行無常さと言う、2つの時代を眺める道中記でもある。

この道中記は街道の歴史や文化や民俗学などの、学術的な考察は期待出来ません。

先を急ぐ江戸時代の旅人同様に、徳川の埋蔵金の在り処などもあまり気にかけていません。

自転車の移動速度からしても、史跡案内板をかなり見落として通過しています。

なのでいつの日にかに、気に入ったの資料館など宿場をのんびり見学して

連泊してみたい願望はある。

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宿場が多く距離も近い甲州道中も、この日から宿場間の距離が長くなるので、

やっと台ヶ原宿に到着をした。41宿目で約170km。

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道の駅はくしゅうで、名水をペットボトルに汲んでアジフライ定食で昼飯にした。

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かき氷専門店で天然結晶の氷のかき氷を注文し、待っていたら雨が本降りになったので、

夏とはいえどこれから標高が上がり寒いので、みらい三度笠は合羽を着て美味しいかき氷を

雨水で溶かしながら食べた。

この道の駅はこの後、運営に変化があったようだ。

雨のラストランを再開したが、教来石宿は史跡は無く通過した。42宿目で約175.5km。

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釜無川を渡ろうと甲州道中でR20を通過して蔦木宿に向かうと、30年ぐらい前から廃道で草が高く生い茂り

未舗装の泥水溜りを進んで釜無川の廃棄橋に着くと、電流?と英文の警告のある金網のフェンスで塞がれて通行不可能だった。

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その向こうに下蔦木交差点のR20があったので、泥水まみれになって廃道を戻って下蔦木交差点に。

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雨ですぐ泥も流れて奇麗になり旧道に戻ると、上り坂に日蓮上人の高座石があった。

登りきると蔦木宿に到着をした。43宿目で約180km

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此処の宿場町は民家の各御宅に、江戸時代の屋号の看板が大きく掲示されていて江戸時代を彷彿とさせる。

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その先の旧道の釜無川沿いは未舗装の砕石所でダンプが出入りしており、結局通り抜けらず行き止まり。

また未舗装路で足や背中が、跳ね上げた水でドロドロになってしまった。

しかし舗装路に戻ればタイヤの勢いの良い水のは跳ね上げで、泥の汚れが落ちていった。

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ヒルクライムが本格的にきつくなり走り続けたら、御射山神戸一里塚に到達したら此処は917mだった。

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青柳ゆるぎ石は、江戸時代から1日で米粒一個分進んでいるという言い伝え。

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金沢宿に到着したが雨が続き、休憩をしたいので発酵パークで雨でも合羽で暑いので甘酒とアイスを食べて土産も買った。44宿目で約192,3km

此処の味噌蔵は見学が出来るので楽しく興味深いものを見た。

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諏訪地方でおかめ様とは、長野の北案が由来ということらしい。

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上諏訪宿に到着した。45宿目で約205,6km。

一応雨が止んでいたが道が狭いので状況的にすれ違い待ち中のみらい三度笠の写真が撮りたいという車のおじさんが話しかけて来た。写真撮影はお断りをしたが応援してくれた。

黙ってスマホで盗撮して、デマを拡散し炎上させる系みたいじゃなく良かった。

みらい三度笠は中山道では女性に人気で?おにぎりも貰った事に比べると、おじさんに人気?

甲州街道はあんまり嬉しく無い。

下諏訪宿到着前に今日の宿を通過ついでに、チェックインが遅れると宿に一声かけたがとてもここは外資系の予約サイトでしか、予約出来なかったが良い新しい宿だった。

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そして下諏訪宿に到着をした!46宿目で約210,8kmの甲州道中を完走をした!

諏訪大社下社秋宮に到着し、此処が甲州道中と中山道の合流地点で本当の完走が出来た。

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約二か月ぶりの中山道でもある。

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二か月前の中山道中の時に決めた誓いを果たすために、遊泉ハウス児湯で温泉を堪能した。

ヒルクライムで疲れた体癒す、熱めの湯は気持ち良かったが少し入り過ぎてのぼせた。

入浴後は疲れも取れて、体が軽くなり宿に戻り駅前で豆腐料理の夕食にした。

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翌日は朝から諏訪城周辺を見学して、かつて温泉街だった諏訪湖の民家のような温泉に入浴。

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温泉三昧な最終日の朝の後、わざわざ江戸時代のルートでとハッキリ書かないと

R20のルートと誤解されやすい、甲州道中はかつての宿場を窺い知れる旅だった。

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♪8時ちょうどの特急あずさ2号ではなく、私は私は甲州から旅立ちます~。

甲州道中自転車旅令和3年7月 2019年7月に走破完了。

 

江戸時代の 甲州街道 自転車旅 みらい三度笠 令和元年七月 駒橋宿~韮崎宿 4日目 2019年

 大月駅の前の駒橋宿の宿に泊まり朝食後に、曇り空の駒橋宿を旧道で出発する。

直ぐにR20合流すると大月宿になる。ここから大月追分に到着だ。

みらい三度笠はこの大月追分は学生時代にサイクリングで何度も昔の道の造りの国道139号線で

富士山方面に向かった経験は何度もあるが、今日の甲州道中方面は初めて通る道ばかりで

新鮮である。

大月宿は江戸から20宿目で約95km

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さらにこの先の笹子峠甲州道中の笛吹市は実は、2週間程前に中央高速の笹子トンネルを抜けるルートを車で観光をしていたのだ。

楽勝だった笹子トンネルの左横上の笹子峠をわざわざ進むという、摩訶不思議アドべンチャーの始まりだ。

現在のR20と、甲州道中や笹子川を何度かクロスしながら走り、21宿目の下花咲宿約96km、

上花咲宿は約97km22宿目の下初狩宿は約101km、本陣跡を見落とした中初狩宿は

約102km、23宿目の白野宿は約104km、24宿目の阿弥陀海道宿は約107kmを通過した。阿弥陀海道宿の笹一酒造の向かいの笹子餅屋で蔵酒まんを購入した。

あんこの中に、ツーンとした甘酒ペーストが入っていて酒まんらしい味で美味い。

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こういう時にみやげに笹子餅も買えないのは、軽量化重視の自転車旅の積載性の無さ故に毎回残念である。

黒野田橋を渡ると、25宿目の黒野田宿は約108km

黒野田宿には一里塚跡がある。甲州道中の林道で笹子峠を越える。

f:id:miraisandogasa:20210723192352j:plainロードタイヤのシクロクロスの押し歩きを開始するが結構荒れた林道で倒木もある。

だが傾斜はそれ程でもないが問題が発生した、途中に何か所も小さい渓流が流れており木橋が掛かっている。

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みらい三度笠が降りて自転車を木橋に乗せただけで、自転車は押し歩き出来ずにスリップして倒れてしまう。橋が簡易の木製なので湿っており、橋の表面の苔や泥などが滑る原因だった。

どうしてもそうなるので、これも滑りやすいMTB用SPDシューズで歩き自転車を持ち上げて橋をそっと通過した。滑ったら大事だが、ガチ甲州道中ルートはエクストリーム道中過ぎる。

ヒヤヒヤしなが何度も滑り易いキケンな木橋を渡ると、やっと名所の矢立の杉に到着をした。

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f:id:miraisandogasa:20210723192901j:plainキレイな休憩所があり酒蔵饅を食べて休憩したが、此処には杉良太郎の奥さんモチーフの両面地蔵があった。

手回しで杉良太郎の歌の矢立ての杉が流れる、びっくりドッキリメカがあったので

ハンドル20回転して「矢立ての杉」をBGMに流しながら、その場を立ち去るみらい三度笠は、

かつてのTV時代劇のような気分になった。

現代日本で時代劇や演歌、演劇などの文化は高齢者世代だけの縮小する文化となりつつあるが、

みらい三度笠は江戸時代の街道を旅をして、海外旅行もしたが日本の旧道のその良さに気が付いた。

日本の伝統の音楽は素晴らしい。

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荒れた林道の斜面を登り、国道の舗装路に出てしばらくすると、笹子隧道トンネルがありその手前で右に曲がると甲州道中の林道が

笹子隧道トンネルの上を通っていたが、此処も傾斜が厳しく自転車を押し上げながらよじ登った。

汗だくで笹子峠に到着した。

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ここから下りの林道で駒飼宿を目指すが、土砂崩れ跡の倒木が散乱している状態で旧道は走行不能区間があった。

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f:id:miraisandogasa:20210723194341j:plain26宿目の駒飼宿は約115km舗装路で駒飼宿の本陣跡の標識だけがあった。

この山中に寿司屋があったが、当時はどんな寿司を出したのだろうか?

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笹子峠だから笹の葉で包んだ鱒ずしとか冬なら冷蔵無しでいけそうだと思ったが、真相は一体何だろうか。

中央高速の高架下を抜けるとR20甲州街道に入り27宿目は鶴瀬宿で約116km

旧道を交えて再び28宿目の勝沼宿は約121km

桃やブドウの果実農園が多い勝沼宿で、旧甲州街道甲州道中になる。

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さらにぶどう、ワインの表記が増える29宿目の栗原宿は約124kmに到着した。

30宿目の石和宿は約130kmに到着して、公園の足湯コーナーで足湯に入った。

今の石和宿は温泉街であるが、江戸時代に甲州道中の石和温泉街の歴史が無い理由は、

1960年代に突然、畑から温泉が湧き出したから。

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新しい昭和創業の温泉街だから、此処は知らなかったが2週間前に車で7月の名産の桃を買いに温泉旅行をしたのだ。

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腹が減ったので、うどん屋が意外と癖のある店だった道中なので、石和の甲州ほうとうの名店で

カボチャほうとうを食べたがやはり一番美味い。

野菜がゴロゴロ入って鉄鍋で直で食べる古き良き農家の食事っぽくて、素晴らしいので味噌スープも飲み切ったが、飲食、コンビニ店員も最近はネットで客の妙な情報を驚く程共有して、変な噂を流し

マウント取りをしているのだ。店員にはもう個人情報は晒さない方が良い。

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31宿目の甲府柳町
宿は約133kmから韮崎宿までの市街地はナビで甲州道中ルートを辿るが、昔の面影も少ない。

この日は江戸時代から続く宿に宿泊した。

創業が江戸時代からの店と、明治大正以降の店を比べると残念ながら後者の方が良い店が多いような気もする。

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地方は何処も1980年代のバブル崩壊以降、少子高齢化で街が更新されないままで寂れこの先ゴーストタウン化が免れなさそうで、残念な日本の将来を憂う旅でもある。

甲州街道 自転車旅 みらい三度笠 令和元年七月 関野宿~大月宿 3日目 2019年

ずいずいずっころばし胡麻味噌ずい!茶壷に追われてどっぴんしゃん抜けたらドンドコしょ!

という童謡はこの甲州道中でも行われていた、将軍の威光を悪用したお茶壷道中の悪行を今も伝える唄でもあると初めて知った。

江戸幕府のダークサイドも知る事の出来る楽しい甲州道中の3回目の再開は一気に、中山道合流地点を2泊3日連続で、下諏訪宿まで完走します。

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11宿目で江戸から約67kmにある吉野宿の藤野駅から、R20号線を出発して名倉入り口交差点

から江戸時代の甲州道中に入りUターンを繰り返し、暫くすると諏訪関跡の石碑があった。

12宿目で約69kmのここが関野宿

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上野原宿に入るとまた現代の甲州街道R20になり、みらい三度には自転車少年時代から見慣れた

おなじみの風景が、変わらず続く。上野原宿は13宿目で約73km。

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しかし上野原宿は酒饅頭が名物で、今回初めて食べてみたが、値段が安くて皮がモチモチして実に美味い。

この酒饅頭はおやつだがさらに昼飯が食べたくなったので、上野原本陣向かいの信玄餅屋のレストランでほうとうと、かき氷を食べたが、ほうとうは美味くない。

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肝心の味噌が発酵食品の旨味を感じさせずカト〇チの冷凍ほうとうの方がよほど美味い。

甲州街道から再び甲州道中に分かれ、山間の鶴川宿になるここから先は中央高速道路沿いを走るが大きなゆりの花が咲いて垂れ下がっていた。

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鶴川宿 14宿目で約79km

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甲州
道中から寄り道をして、談合坂サービスエリアの施設を利用できるのでみらい三度笠はここで

一休みをした。つばめの巣が店舗の入り口ありヒナが居た。しかし何でツバメはフン害になる

店舗入り口に巣を作りたがるのか?甲州道中に戻り野田尻宿に入ると中央高速を越える石畳の床の橋を渡る。野田尻宿15宿目で約79km。

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4回目の中央高速の橋を渡ると矢坪坂に入り進むと矢坪坂の古戦場、座頭ころがしと言われる場所を通過する。幕末に一揆があった犬目宿に到着した。

犬目宿16宿目で約83km。

甲州道中30号線を下だり途中石畳跡を回り込み、中央高速の橋の下を潜り抜けるとまたR20甲州街道に合流をして下鳥沢宿になる。17宿目で87km、続い上鳥沢宿がある約88km。

そして日本三大奇橋の猿橋に到着をした。

猿橋宿18宿目で約91km。

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この猿橋宿の猿橋前の大黒屋は休業中だったが、昔に日立の創立の打ち合わせに使われていた。

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みらい三度笠が乗車した、かつての鉄道国家だったイギリスで大評判で大量導入される

日立製クラス800はここから生まれたが、猿橋からして日本らしい技術の塊故か。

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ちなみに猿橋の隣の用水路の橋の使用目的がとても気になる。

100年越えの水力発電所の太い送水管を越えると登坂を過ぎて第五甲州街道線路を越える。

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駒橋を過ぎて大月駅の駒橋宿に到着をした。19宿目で約94km

今日の宿泊地とした。

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この宿は100年位の歴史があり、みらい三度笠が中山道で泊まれなかった江戸時代の旅籠の建築様式を残す作り。

部屋はクーラー無しだが羽蟲もおらず、開けた窓からの山間の風が心地良く大月駅阿波踊り祭り

前日の太鼓の練習の音が遠くから聞こえる風情のある、実に日本らしい夏の夜だった。

甲州街道 自転車旅 みらい三度笠 令和元年七月 布田ヶ五宿~関野宿 2日目 2019年

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以前の引っ越し前のブログで掲示された甲州道中の写真のファイルが、日本橋から小原宿(こばらじゅく)まで行方不明で写真が無いので2021年に、一応写真を取り直しました。
前回から日を改めて今回は布田ヶ五宿~小仏峠を越えて、関野宿までの江戸時代の甲州道中となります。

前回の国領宿の続きの、布田ヶ五宿から旧甲州街道の標識の道を早朝に出発。

布田五ヶ宿は、国領宿、(江戸からの距離)23km下布田宿、23km上布田宿、24km下石原宿、25km上石原宿、26kmが交代制で宿場の機能を請け負っていた。国領宿は高井戸宿と宿場として、掛け持ちなのだろうか?

未来三度笠は学生時代から甲州街道をよく自転車で高尾山や、富士山にサイクリングで行っていたがこの区間の江戸時代の道の旧甲州街道は、今までほぼ走っていなかったので、

この古の道は新鮮である。

この公園に村があったことを示す人名由来の、富久の碑があった。

江戸開拓のはるか前より府中に鎮座しており、江戸時代は武蔵国の総社である大國魂神社。

府中宿4宿目で江戸より約30km

 

史跡らしい府中高札場に到着した。府中の分倍河原鎌倉幕府滅亡の歴史の転換期の地。

旧道から甲州街道R20に合流して日野インター交差点で旧道と分岐して、多摩川を越える日野橋の

交差点の先を左に曲がり多摩川浄水場の横に着く。

此処が日野の渡し碑がある場所だ。現在は日野橋で渡るルートで本陣のある日野宿になる。

5宿目で約39km。日野駅に向かい、駅のガード直前を左折して

坂を登り線路を越えて現在の甲州街道と同じ道になる。栄えている八王子市内に入り

昼飯のおにぎりを、米屋で購入した。西八王子駅付近になると

6宿目の横山宿(八王子宿)になる。約45km

途中現在の甲州街道から逸れたりするものの、しっかり旧甲州街道を走り高尾山駅の先の西浅川から江戸時代より前から重要な関所だった、駒木野宿の小仏関所跡に入る。甲州道中の人々が必ず通る厳しい取り締まりの関所だった。現在は石碑の建つ公園。

7宿目で約53km。日影バス停付近のこの辺りは、中央本線と中央高速道路が並走する。

今やのどかなハイキングコースだが江戸時代だと、関所破りとして磔にされたという江戸時代のダークサイドである。

中央高速を右上に眺めながら比較的新しい圏央道八王子JCTの下を潜り抜けて

豆腐屋で豆乳を購入した。中央本線の赤レンガトンネルを潜り景信山登山口で舗装路が終わり

京王バスの終点のバス停の小仏バス停になる。此処でバスはUターンして戻る。

8宿目の小仏宿で約55km。

トイレとベンチが有ったので、先ほど購入したおにぎりと豆乳で昼食にした。

ここからダートのハイキングで小仏峠に向かい、ロードタイヤのフルカーボンシクロクロスを押して登った。キツイが標高はそんなに無かった。

未来三度笠は久しぶりに小仏峠に来たので、小仏峠甲州街道から外れ景信山方面に間違って進行してしまった。

道を戻ると設樂焼の狸の群れを見て、今度は間違いではないと安心した。

ちなみに信楽焼の狸は、明治時代からの始まりらしい。

小仏峠頂上付近約58km。

下りが始まり乗車してダウンヒル中に、工具入りのボトルゲージを段差の衝撃で落として紛失して

いる事に気が付いた。

このシクロクロスは中華カーボンフレームなので、中国にPL法(製造者責任法)なども無く、

もう入手不能であろう貴重な予備のディレーラーハンガーや、パンク修理道具が入っている為に

捜索の為に降りた山をまた登らなければならないので、このまま重い自転車は置き去りにすることにした。

急いでいたので自転車に鍵はかけず、すぐ乗れないようにミニVブレーキのワイヤーを前後外して

ノーブレーキ状態で、盗難予防のつもりで放置した。

300m先まで登って戻ると落ちていた、件のボトルゲージを無事発見出来た。

急いで自転車に戻り、ミニVブレーキを直す事を忘れて未来三度笠はノーブレーキ状態でダウンヒルを始めてしまった!

下り出しでブレーキがスカスカで利かず、焦って外したブレーキワイヤーの事を思い出した

みらい三度笠は加速する寸前に、路肩にハンドルを切って木に体を当てかなり痛かったが停止した。

直ぐに反応しなければ激坂を猛スピードで、滑落状態のダウンヒルになり大惨事寸前だった。

うっかり八ベイミスは自然の中では容赦が無い。甲州道中を自転車で走る危うさを気が付かされた。

なんとか無事に下山して、現在の甲州街道R20と同一路線の小原宿に到着した。

9宿目で約61km

小原宿本陣跡などもあり史跡があり昔からR20来ていたが、これまでの来訪同様に旧道からでも

私には独特の雰囲気加減が合わない。

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小原宿から与瀬宿はR20と中央高速の間を行ったり来たりする。10宿目で約63km

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与瀬宿から中央高速や相模湖を見下す道沿いに甲州古道と記載された木の柱案内看板が朽ち果てそうにヒッソリと立っていたが、この素晴らしい道標が更新される日は来るのだろうか。

ちなみに2021年7月に見かけると、甲州道中道標は新しくキレイな道標に

打ち変えられていた。

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吉野宿の藤野駅に到着をして今回は此処まで。11宿目で江戸から約67km

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甲州街道 自転車旅 みらい三度笠 日本橋から高井戸宿 令和元年七月 1日目 2019年



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東海道五十三次 京街道五十七次 1 自転車旅 未来三度笠 日本橋~保土ヶ谷宿  令和2年1月

甲州街道に繋がる道の、2020年1月東海道五十三次京街道五十七次の道Tubeも

ご覧下さい。

 

甲州街道こと江戸時代の道中を行く、甲州道中自転車旅の始まりです。

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 江戸っ子のみらい三度笠の少年時代に、サイクリングを趣味にし始めた頃から馴染み深い

甲州街道だが、当時は旧甲州街道の価値は分からなかったが、やっと今にして価値が分かり

江戸時代の甲州道中を、江戸から下諏訪まで完走する事にした。

しかし、こちらのはてなブログ以前のブログに掲示されていた、甲州道中2019年夏の写真がブログの引っ越しの時に、写真のファイルを削除してしまった。

日本橋から小原宿(こばらじゅく)までは、残念だが道中の写真無しと言う有様。

残念なので2021年3月に再び、自転車で馴染みの甲州街道日本橋から府中宿までを走行をして、動画と写真の撮影をしてブログを補完してみました。

なので、文章は2019年の当時のままなので、2021年の写真とは

文章の内容が一致していなかったりしますが、あしからず。

相変わらず地図によるルート表示も無い、あいまいなブログです。

ここから2019年の甲州道中自転車旅の始まり。

日本橋から下諏訪宿まで、ネットで正確なルートを調べてナビにピンポイント入力で位置を把握し

た。

2019年の今回の甲州街道自転車道中の、ほんの2か月前に中山道を日本橋から京都三条大橋まで自転車で完走をしたが、その中山道中の甲州街道との合流地点が、甲州道中の起点の日本橋から完走地点の下諏訪宿でもある。

中山道中で入浴したかった下諏訪の温泉に浸かる事も今回の楽しみである。

甲州街道五街道では一番最後の五番目に、元は古い甲州道を整備され作られた。

江戸時代の当初は甲州海道と呼ばれたが、海は無いので甲州道中が正式名称だった。

江戸の日本橋より下諏訪までの距離は53里2町23間(約208.5km)

45宿の宿場があった。

令和元年2019年七月の日本晴れの暑い日本橋甲州街道自転車道中をスタートした。

日本橋の南側に渡り呉服橋から現在の大丸側の東京駅八重洲口駅構内を通リ抜けて丸の内北口に抜ける。しかしみらい三度笠は自転車なので構内は通れないので八重洲口に駐輪をして駅構内区間は膝栗毛で歩いて道中となり、丸の内北口から再び八重洲口に戻り自転車で永代通りを通過で

丸の内北口へ。

これが江戸時代の甲州道中のルートだった。
新丸ビルから日比谷通リに出て、日比谷の交差点を曲がりパレスサイクルが開催されていた内堀から半蔵門に皇居の内掘りを登った。

 


この日は兎に角日差しが強く暑いので半蔵門の公園で給水をしていると、機材オタクのジョガーに

みらい三度笠の鋼の自転車を、値踏みして貶された。

自分に厳しいつもりのアスリート気取り程、甘えた考えの奴が多いと思うのだが。

江戸時代の甲州街道は現在は新宿通り沿いであるが、四ツ谷駅手前で右折して駅を越えてから外堀通りの四谷見附で再び戻る。

外堀通りとは江戸時代の防衛拠点の外堀で関所だと改めて再認識をした。

腹が減ったので四谷のうどん屋で香ばしい黒うどんを注文したが、香ばしいのではなくカレーの鍋底が焦げたカレー味だった。

焦げた物を出す駄目な店にうんざり続きで走り出した。

一番初めの宿場の内藤新宿に到着をした。日本橋より8km。甲州道中44宿で追加され45宿になった

一番新しい宿場だった。

四ツ谷四丁目の御苑トンネルの歩道にこんな看板があった。

参勤交代は三藩しか往来が無かったが、馬による物資の運搬が盛んだったので

歌川広重の絵も馬が題材だった。

 

新宿には大木戸があった。

現在のタワーだらけの魔戒都市新宿?に発展するとは、江戸時代の当時江戸っ子は知る由もなかっただろう。

この日の伊勢丹前ホコ天が開催中だったが、江戸時代の甲州街道は左折する。

現在の新宿南口陸橋を越えて、ファーストキッチンで右折して銀行の角に入り

KDDIビルに突き当たり左折してR20甲州街道を環八まで向かうのだ。

ほぼ江戸時代の甲州街道の史跡の無い道中で、初台から高速道路下を走行すると江戸風情のある

提灯屋がありました。

環七を越えてしばらくするといきなりパンクしたが、原因はフレンチバルブの栓が吹っ飛んで無くなった事だ。

みらい三度笠は近年あまり自転車に乗らなかったので、消耗品の更新をせず経年劣化が出やすく修理での時間の無駄が発生しやすい状況だと気が付いた。

路肩でパンク修理中に、道を挟んだ建物に軽トラで来た電気屋のオヤジが、単なるパンク修理に文句気味に話しかけ、人様の工具まで勝手に弄りだす変なオヤジだった。

甲州街道が頭上の高速道路の下から別れる直前に、一里塚の看板をやっと見つけることが出来た。

高井戸の一里塚跡と呼ばれ、日本橋から数えて四里目の榎の一里塚があった。

この付近で高井戸宿に入る。高井戸宿内で下高井戸宿、上高井戸宿、国領宿の

3宿に分かれ此処は下高井戸宿となる。

距離16km

環八を越えて甲州街道は現在の国道20号線から、江戸時代の旧甲州街道に分岐する。

高井戸宿内の上高井戸宿芦花公園千歳烏山付近約18km

旧道を進み再び現在の甲州街道い戻ると、仙川の一里塚跡がある。

現在の甲州街道から、瀧坂旧道に右に侵入してまたすぐに現在の甲州街道に戻る。

野川の流れる馬橋を渡る。

甲州道中に分かれる高井戸宿の国領宿に到着した。約23km走行した。

夏のキツイ日差しの暑さに耐えるのも限界なので、セブンのイートインコーナーで涼んで

水分補給をした。

現代の道中の茶屋で2019年の甲州街道自転車旅の、1日目の本日の踏破はこれで完了させた。