みらい三度笠の道中ブログ

みらい三度笠が道中をします。

中山道 自転車旅  坂元宿から追分宿 4日目 碓氷峠  みらい三度笠 2019年5月


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 坂元宿から林道の中山道碓氷峠に到着した。

中山道である林道の入り口に紺色の旗が2本立ち安政遠足・侍マラソンと書いてあった。

中山道はかつては戦の道でもあり、現在は野獣パワーに10本のツメと牙を持つクマ侍が居る。

人間の顔面から潰しにかかる攻撃の得意な、クマ侍が21世紀の現在でもこの道中では待ち構えているにも拘らず、私の武器は自転車と落ちている木の枝と投石だけ。

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江戸時代は中山道沿いに茶屋も人も多く、脇差の刀を持っていた方がイージーモードではないであろうか。

ラジオも放送の電波が届かず、ノイズのみを大音量にしたが川のせせらぎに似ていてもうダメかも。

鈴の音代わりに大声で歌っていると、他のハイカーとすれ違いバツが悪かった。

登り始めはグズグズの岩場で自転車を持ち上げ続ける系の、ウエイトリフティング状態で睡眠不足も有り最大レベルできつい。

山登りは初めが急勾配で登る気力を奪うが、その後少し楽な勾配になるの法則は此処碓氷峠でも同じだった。

少し走行出来そうな路面は乗って、走ったりしたので少しは楽になりのぞきは良い眺めだった。

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廃墟ホテルの貯水槽と草ヒロバスが、50年位前はこの林道を走っていたのだろう。

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草ヒロとは草むらヒーローの略語で、放置車両がかつては人々の役に立つヒーローだったという意味である。かつて高度成長期の日本で団体旅行が旺盛を極めた、つわもの日本経済が夢の跡かな。

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なんとか林道を登りきり、アスファルト道でスピードを上げて下山したらリム打ちパンクをした。

タイヤの空気圧が碓氷峠のダート走行で、少し抜けて空気圧が下がっていたからだろう。

山頂の名物力餅の店に飛び込んだのがあずまや本店である。支店はオシャレな軽井沢の方だ。

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おろし、アンコを注文して即効出てきた力餅は美味しかった。

熊野皇大神社は長野県と群馬県でお社を分かつ神社で有名でお詣りをした。軽井沢から車で来れるので人も多かった。

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軽井沢に向かう舗装路の下りは、凸凹で先ほどの林道走行でエアがやや抜けたらしくリム打ちパンクをした。

25cなのでシールタイプを貼って直したが耐久性は期待出来ないが、予備チューブはこの先を考えまだ使いたくない。

林道を樹海のように彷徨ていた未来三度笠が、軽井沢に到着すると眩しいリアル充実の異世界が広がっていました。

行列の店で店員のネーちゃんが盛り付けた、有名コーヒーフロートを美味しく頂きました。

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他の客にもこのような適当な盛り付けで、軽井沢の店は現在でもバブル期の酷い

客あしらいで80年代なのかと思った。

日が暮れる前に軽井沢宿に着き、疲れ果てて宿に到着するとまずは広いお風呂で疲れを癒し、ご飯を食べたら限界だったので朝まで熟眠をした。

5月の東京では散った桜は、まだ軽井沢では咲いていた。

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これから京都まで、大変疲れるがそれより楽しい中仙道の道中が続くのだ。

中山道 自転車旅 みらい三度笠 令和元年 坂元宿から追分宿 4日目 その1 2019年5月


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 新元号は令和元年と発表された2019年5月と成り、待ちに待った中山道自転車旅行の再開だ。

今年は世間様が10連休なので、未来三度笠も坂元宿から続けで京都まで連続7日間の中山道中で

林道もほぼガチで通過します。

今回の装備については、自分でパーツを選んで組み立てた汎用ロード風決戦兵器の、

フル中華カーボンシクロクスで、バック類を付けた装備重量を約13kgで担ぎ上げに対応する。

クロモリは重く坂道がキツイので、衝撃吸収性もクロモリより段違いで乗り心地が良い

カーボンフレームにした。

タイヤは25cの細さのコンチネンタルGP4000sでも、カーボンフレームは衝撃のダメージが少なく体力の消耗を防ぐ。

ルートはネット情報をありがたく参考にさせて頂いているが、260年も続いた道中のルートは

何時の時代の頃かは不明ではないかと思う。 

それをソニーの名機ナブユーに旧道をフラッグ入力をしたが、長時間の作業で大変だった。

道中ナビステーがダートの振動で終始カタカタと煩くなる対策を、発見できなかった事が残念だ。

私の服装もロードジャージ、黒いアームカバー、黒いタイツに青い短パンで甚平を着て、前回の饅頭笠は大きく自転車には空気抵抗が大きいので、小さく一文字笠風のお皿に切ってロードヘルメットに装着した、私の自称であるまさに未来三度笠そのものとして江戸の旅姿風コスプレにした。

しかし私はあれからあまり運動をせずに居たうえに、今回は睡眠時間1時間でフラフラと横川駅に

輪行で到着した。

この状態で碓氷峠の林道を自転車を担ぎ上げ続け越えるのには、かなり無理というか中止すべきだが

ここまで来たらガンバルしかない。

f:id:miraisandogasa:20200927181124j:plain釜飯で有名な横川駅のおぎのやの経営する駅そば屋で、初めてここのお蕎麦を食べたが美味かった。もちろん釜飯も食べて腹ごしらえは出来た。

f:id:miraisandogasa:20200927181233j:plainいざ、碓氷峠に参る!

中山道 自転車旅 みらい三度笠 本庄宿から坂本宿 3日目2019年1月

  朝の本庄宿の宿を出発して旧道の中山道ロードバイクで走る。

神流川を橋のある国道17号で渡り再び鳥川寄りの旧中山道にある新町宿を通過したが、埼玉県は鳥がらみの地名が多いと思う。

鳥川を渡り国道121の中山道倉賀野宿に到着して、そのまま市街地である高崎宿まで走り抜けた。

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高崎宿の君が代橋で再び鳥川を渡る。

君が代橋を渡るとは、中山道のこの橋は新元号への架け橋のようです。

この時点では2019年1月なので平成であり、新元号は未発表であった。

橋が複雑だった碓氷川を渡り、板鼻宿を通過して安中宿に到着した。

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コケシさん達がお出迎えをしてくれました。安中宿は江戸時代のマラソンの発祥とも

言える殿様主催の碓氷峠へのマラソン大会が開催されていた。

2019年に侍マラソンという映画作品も上映されたそうです。途中にペコちゃんじゃない洋菓子屋さんがあったので購入したら

かなり美味しく、饅頭も美味しかった。この辺りからヒルクライムが続き本当の中山道への挑戦が始まった。

松井田宿を越えると、信越本線の線路を越えたり国道18号を越えたりと忙しくなる中山道で走り抜ける。

坂元宿の五料のお茶屋本陣に到着したが、閉館中で関所跡を見物した。

f:id:miraisandogasa:20200927163923j:plain昼飯は試しに古い店に入ったら飲食にありがちな厨房のヤツの感じが悪く、まるで30年位前の客商売のダメな店に来たタイムスリップ感を味わった。

中山道はよく、此処に250年も茶屋があったんだという看板まであるが近代では飲食店の衰亡は短い期間なので歴史に残らない。

日本の高度成長期の店舗や民家の廃墟の多さを眺めるのも、中山道旅行のネガな一面である。

廃屋を撤去もしない諸行無常感が侘しいが。

日本は戦後から安い労働力を求め、馬からトラックへ物流が変わり労働者は男から女性の社会進出で少子高齢化

2020オリンピック前なのに、不景気という行き詰まり感を感じさせる中山道沿い。

落ち込んでもしょうがないので碓氷鉄道文化むらを見学したら、以前列車のネームプレート等を盗んだ事件があり

その返却を求める張り紙が列車に掲示されていた。

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更に落ち込んだじゃないか犯人よオレの気持ちをどうしてくれる。

などというオチを考えて、2019年1月で中山道自転車旅行は一時冬眠する事となります。

再開は暖かな5月のゴールデンウイークに決めました。

 

中山道 自転車旅 みらい三度笠  大宮宿から本庄宿 2日目


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日光御成道 自転車旅 2 2020年 8月 大門宿~幸手宿 合流地点 完走

こちらの日光御成街道の、道Tubeもご覧下さい 

前回から数日後に、大宮宿から中山道自転車旅行を再開するにあたって装備をやや本気を

出してみた。

まず、私が何をしている人だが分かりやすく、背中に中山道中とマジックで書いた布を貼り付けたが風でめくれ意味不明だった。

今回の自転車は、自分で組み立てたクロモリロードバイクで前回の街乗り買い出し仕様の自転車よりも当然、ラクをして軽く速く走れる。

タイヤは25cの太さであるが、道中安全第一で無理して車道を走るリスクは抑える事にした。

前回は江戸から戸田橋で荒川を渡り、最初の宿場の蕨宿の本陣に再び到着した。

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上尾宿はかつて紅花の産地であったが、現在はブリジストン工場の町であるが中山道沿いは結構

街が寂れていた。

地方は何処でも旅行に出かけると、必ず80年代がピークだった日本の廃墟を見掛けて侘しい気持ちになる。

中山道も江戸から明治時代に寂れたが、近代のバブル崩壊でさらにもう一度寂れ更に少子高齢化である。

ホンダエアポートも近い桶川宿を過ぎて、次の鴻巣宿は江戸時代からのひな人形の街である。

鴻巣市観光産業館には、多くの雛人形が展示されていた。

熊谷宿はかつてはかなり大きな宿場であった。まだまだ熊谷宿ではクマには遭遇しないが、この後大変な事が起きたのであった。

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深谷宿のコンビニで休憩をして出発すると、中山道で交通規制が有り私の進行方向の歩道に対向車線から車が飛び込んでいた。

コンビニで休憩して正解だったので、もう無理して車道は走らない事にした。

日が暮れた頃に本庄宿に到着をして、今回は最近出来た旅籠風の新しい宿に一泊をした。

 

中山道 自転車旅 みらい三度笠 江戸日本橋からの旅立ち 1日目

2020年1月東海道五十三次京街道五十七次の道Tubeもご覧下さい。
はてなブログへの移転記念で、加筆、訂正と写真の追加の更新 をしました。

 

ここから、みらい三度笠の道中記ブログの始まりです。

かつて江戸っ子ならば誰もが知るであろう五街道への道中、特に東海道、中仙道は

現在でも有名である。

今回は江戸時代当時のルートで険しい中山道を、自転車で走る事が目的である。

言い訳無用でハードな林道を日本橋から京都まで走り抜け、現代人の忘れてしまった

江戸時代の先人達の生きた時代を、少しでも追体験したいのでルートは妥協の言い訳はしない。

世の中も少子高齢化で過疎が進み、景気も相変わらず30年位は良くなかった。

時代劇の番組も減り果たして今後も、約400年以上の歴史の五街道の保存は継承できるのか?

ハードなヒルクライムが苦手な私に脚力が残る内に行っておこうという事でもあるが、

あまり最近運動をしていないという、追い討ちをかけるみらい三度笠の体力の状態だ。

f:id:miraisandogasa:20200927212830j:plain今回は2019年1月東京の日本橋へ三度笠(饅頭笠)持参で馳せ参じ、中山道中出陣の記念撮影をした。

スマホポケモンゴー中のおじさん達こと、ポケおじも多く現実よりもバーチャルのネットの世界に転生したいようだ。

そんな日本橋だが中山道中をスタートさせるベテランのグループに出会い、五街道の情報を教えて貰えた。

私は東海道を自転車で2度、中仙道は車で1度の私などまだまだである。そう中山道は昨年2018年夏に車で草津宿まで

車道走行はしているが、やはり林道メインの中山道は山岳地帯がハードであるが自転車で走りきりたい。

その思いを胸にローマ建築のような縮尺の大きい、石作りの高層ビル街に変わった現在の日本橋の街を未来三度笠こと、この私はこの日は鋼の普段使いのクロモリ車で中山道秋葉原方向に

出発をした。
江戸総鎮守の神田明神の坂を登り、東大で江戸時代から続く酒屋を左折し、とげ抜き地蔵までの道中は古の中仙道を感じさせる。

巣鴨のこの老人の街の庚申塚駅は元都電こと、新名称のサクラトラムは変だし長いから言い辛く

略せよと江戸っ子の私は思う。やはり相変わらず皆が都電と呼んでいる。

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中山道中でよく設置してある庚申塚は常夜灯のように多く、その逸話を散見する事が多いが明治維新以降の廃仏毀釈ゆえにその民間信仰の話は、石碑には記載が途絶えている。

最初の中仙道の宿場町の板橋宿は、公武合体で将軍家茂に輿入れする為に中山道で来た公女和宮が滞在していたり新撰組局長近藤勇の終焉の地の墓所があり 、幕末の動乱期を歴史を残しながら今はウサギが商店街ゲートでおで迎えしてくれます。

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環七を突っ切り国道17号線の大きな幹線道となった中山道を戸田橋方面まで進む  志村一里塚は400年も中山道の拡幅後も位置がずれていない、国史跡である。

戸田橋の荒川下流100mに戸田の渡しの史跡がある。

f:id:miraisandogasa:20200927173828j:plain橋も掛けられない時代の名残である。確認を済まして、自転車は戸田橋を渡り跳んで埼玉県の蕨宿へ到着した。

此方も旧道中山道は江戸時代の趣を残した街で、以前江戸時代から続くウナギ屋で食べたが江戸っ子の私は関西風の

ウナギの焼き方焼きよりも、蒸し焼きの関東風が好みだ。

しかし今回は時間の都合でグルメも無く、シートポストバックに付けた三度笠がパラシュートじみた空気抵抗を発生させつつ、進むサイクリングである。

腹は減るのでタイ焼きなどを買い食いしながら東北本線沿いの狭い中仙道を走り、

浦和宿に到着した。

以前車で来た時は、この辺は渋滞に嵌ったが今回は自転車なので道が狭くて

危険だがスイスイ行けた。

そのまま大宮宿に到着したが、現在のさいたま市は発展が著しく、中仙道の史跡があり大宮宿の名の由来は大いなる宮である武蔵一ノ宮の氷川神社からの起源で、かつては参道が中山道でもあった。

初日は大宮宿までで、次回に続く。