みらい三度笠の道中ブログ

みらい三度笠が道中をします。

令和6年2024年の来年の甲辰年の主題歌ならば、摩訶不思議アドベンチャー!

 来年令和6年2024年甲辰年に相応しい、タイトル連呼系の主題歌ならば

摩訶不思議アドベンチャーだ。

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名古屋近辺は、熱田神宮徳川家康岡崎城の龍城神社がある。

漫画家の鳥山明ドラゴンボールや、ゲームのドラクエキャラクターデザインの

発祥の地は清須城のある、清須市でもある。

*このブログを書いた後、2024年1月に清須市20周年記念のロゴのキャラを

鳥山明が描いたが、清須城の初期の城主の織田信長がデザインだと思う。

千と千尋の神隠しの油屋は、清須城がモデルという説もある。

千尋におにぎりをくれた、ハクという登場人物は白龍である。

みらい三度笠も冬の徒歩での、東海道五十三次道中で愛知県岡崎の岡崎宿のレトロな

龍城温泉で体の芯まで温まり、道中の疲れを癒した思い出がある。

君たちはどう生きるか を観た感想 ネタバレあり

 作品の事前の宣伝は全く無しで、鳥の被りモノの人物の絵だけ発表された

映画だったのでおそらくエンターテイメント性は、あまり無いだろうと予想された。

ハウルの動く城までは宮崎作品は東映まんが祭り的な、家族で楽しめる娯楽作品

だった。

風立ちぬあたりから、引退詐欺で作風が地味な宮崎の私小説的なモノになり、

今回の君たちはどう生きるかの作風も、ミヤザキの人生の投影まんが走馬灯的私小説祭という地味な作品だったという印象で、ラストのオチも特に感動も無い。

私が一番好きな千と千尋の神隠しが10点だとすると、7,5点位だった。

自転車人力車の客席椅子のバネの沈み込みの表現がリアルなのが、メカに拘りのある

宮崎作品らしく、ギチギチするバネの音が女性の重量感を良く表現していると思った。

偶然だろうがワンパンマンのフェニックス男の後に、少年の心を惑わす鳥人間の展開は似ていたが製作期間を考えると偶然だろうが、ネタの後出し感があった。

両方の作品の優劣を決める、鳥人間コンテストなのか?

アオサギとは、辞める辞めるサギの宮崎監督自身の、投影まんが祭りなのだろうか。

ラストのオウム大王あたりは、漫画版ナウシカのラストのヒュドラっぽい残酷さが

あり、ナウシカ続編アニメの噂は此処から来ているのかと思った。

本編上映前の別の映画作品の宣伝でジブリっぽい絵の、別会社のアニメの宣伝が流れていたが宮崎監督後を継いで、積み木を重ねられるアニメの監督は現在日本には、殆ど居ないと思い知るだけだった。

北国街道 自転車旅 完結編 中山道の追分宿から北国街道で高田宿までを行く2 善光寺宿~高田宿


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2020年8月の約3年前の、遠い日に置き去りにした

北国街道の自転車道中の物語。

三度笠を着けた、ロンリー旧道ボーイのみらい三度笠の翡翠色の勾玉の男の夢は、

道中2日目の今日に、新潟の高田宿に着き完走する事だ。

北国街道の相原宿の中農の子として生誕した、小林一茶の俳句にある

 雀の子そこのけそこのけ御馬が通る

は、北国街道の大名行列や、馬で運んだ金の運搬の風景を詠ったったものだろう。

北国街道は佐渡ヶ島の金山から採掘した金を、江戸まで運ぶ道でもある。

佐渡島の金山で食べれる、金箔アイスは金箔料理界で最安値ではないか!?

上下の画像は別の道中の、佐渡島一周サイクリングの時の写真です。

今日は北国街道の道中2日目の朝となる。

 

昨日の道中の最後に疲れた状態での丹霞郷までのヒルクライムは、8月の暑さで

かなり疲労したが、今朝は朝食に何時ものように納豆を食べて、腸内から健康管理を

している。

今日は元気な状態で信州中野IC付近の宿から、昨日の丹霞郷への急斜面を登りに再び向かう。

昨日見た大きい牛の像を見学して、丹霞郷のリンゴ畑の坂道を登る。

宿泊地の下界から、グイグイ登り綺麗な空気の丹霞郷までの急坂を呼吸は荒いが

昨日よりあっさり登れた。朝の雲の北信五岳も輝いて見えた。

此処から、昨日の北国街道の自転車道中を再開する。昨日の続きの登りは直ぐに

峠の頂上になり牟礼宿までは、ダウンヒルでかなりスピードが出やすい。

勢いを抑えるブレーキングでダウンヒルをした。

平出追分という場所を、何時の間にか通過していたらしいが、

動画からの写真 牟礼宿の付近は急勾配の下り坂。

牟礼宿御本陣跡  現在は本陣の建物は無く駐車場だった。

追分宿から北国街道の距離は約85km

本陣跡から十王堂のある短い距離だが急勾配の十王坂を登ると、高さ2m位の背の高い

ヒマワリが咲いていた。

金附場跡 江戸時代に佐渡ヶ島で採掘された金銀を江戸まで輸送する為に

馬から馬へのリレーで、載せ替えをする中継施設。

史跡のマンガでの説明は、面白い。

その金を採掘する,新潟の佐渡島の金山の佐渡奉行所。 

江戸時代に金の精製は、この奉行所で行われて北国街道を通り江戸に送られる。

これは別の道中の2020年11月の、佐渡島一周の自転車道中の写真。

佐渡島での2020年11月の写真は此処まで、話は8月の北国街道に戻る。

牟礼宿から小間宿への明治時代の舗装路と、江戸時代の未舗装路の分岐。

動画の写真。江戸時代の北国街道を、700x25cのスリックタイヤの

カーボンロードで未舗装路の道中を続けるが、夏なので虫にタカられ鬱陶しかった

が、クマなどには幸い遭遇しなかった。

古間一里塚跡 古間宿に着く。約92km

俳人で有名な小林一茶の故郷はこの地で、一茶記念館があった。

50代で3回の結婚と6人の子供を作った、小林一茶の元気さを現代人は、一茶の俳句同様に学ばなくては、日本は少子化し過ぎて無残様に滅しそうでヤバい。

すぐに相原宿になる。約93km

美味しそうな焼きトウモロコシが、売っていたので購入した。

芯を持っての食いちぎるワイルドな食べ方の焼きトウモロコシは、

原始肉的な感じもする。

甘くてとても旨かった。

みらい三度笠は長年誤解していたが、太古に野尻湖に居たナウマンゾウと、

マンモスは別物という、生物学上の区別がなかった。

つまり、はじめ人間ギャートルズはマンモスの原始肉を食べてるのであり、

ナウマンゾウの肉は、食べてはいないとは知らなかった。

日本の本州にはマンモスはおらず、ナウマンゾウだけが生息していた。

北海道はマンモスとナウマンゾウが、混在して生息していたという事だ。

ギャートルズは北海道での話だろうか?

黒曜石の文化を日本各地に広めた縄文人ゲノム解析同様に、ナウマンゾウ

マンモスもゲノム解析で、古代の謎が解き明かされる日も来るだろう。

昔にゾウが踏んでも壊れない筆箱のcmがあったが、ナウマンゾウなら耐えられるが、マンモスではその筆箱は壊れてもマンモスは、ゾウではないので保証はしないかも。

古い話が多過ぎた。

野尻宿に到着した。約96km

野尻湖の湖畔で野尻湖の水に触れ、太古の1万3千年前この地に居たナウマンゾウ

存在に思いを巡らせた。

先を急ぐ旅なので野尻湖ナウマンゾウ博物館には、残念だが立ち寄れず再び北国街道の関川宿の関川御関所に進む。約100km

赤川1号スノーシェード 豪雪で道路が埋没しない為のトンネルが必要な程の

雪が降ると言う事だろう。

江戸時代の北国街道では、豪雪で除雪が出来ず通行止めになる事もあったという。

数か所スノーシェードを抜けるダウンヒルを終えると、関川御関所に着いた。

関川の流れる橋を越えると、これにて信越国境超えとなる。

すぐに次の宿場の上原宿になる。場所が良く分からず写真も無いまま通過してしまった。約100km

此処は田切宿 約103km
その次は二俣宿だが写真は無し。約105km

北国街道は次の宿場の間隔の距離が、中山道などよりも近い。

この妙高大橋の下に、旧北国街道があるのだが2020年8月の当時は

橋の架け替え工事の為に通行止めだった。

写真左のクレーンの下の先に名水100選の湧き水があり、大田切清水と呼ばれ

参勤交代など旅人の喉を潤した場所があるが、妙高大橋架け替えの為に工事中の新しい妙高大橋の下の場所には行けない。

北国街道から外れ旧妙高大橋で、大田切川を渡った。

2023年の現在は工事は完了しており、旧北国街道は通過が出来そうだ。

新潟の郷土料理の笹寿司でお昼ご飯にした。妙高市上越市糸魚川市で食べられる。

江戸時代の北国街道の道中の食事らしい、現地の郷土料理は美味しかった。

笹の葉には殺菌効果があり、今はサランラップだが昔は、おにぎりなどの飯を

笹の葉で巻いて携帯をした。

ストーブ並みに熱い8月だったので、おやつにアイスを食べた。

もう少し先で次の宿場の関山宿になる。

関山宿に到着した。 約110km

 

二本木宿    約115km 二本木駅スイッチバックで進行する。

小出雲坂 かつては松並木の道で「越後見納めほろと泣いたをなんじ忘れられよ」と

里歌に歌われた。昔は高田平野や日本海が見えたそうだが、松並木も無ければ

高田平野も日本海も気が付かなかった。

新井宿に到着。約121km

新井宿本陣跡 道の向かいに高札場跡がある。

今回の道中の目的地の、北国街道の高田宿に到着した。 

追分宿からの距離は約131kmの、かなり江戸時代の道筋の自転車道中だった。

高田宿は3m以上の豪雪の為に、雁木という木のアケードの通路が街に張り巡らされている。そして2020年8月のこの道中では、街の軒先の全てに飾られる大量の風鈴が

響き渡り、鈴の音であるが故に不快ではなく街の空気を涼やかな物にしていた。

江戸っ子のみらい三度笠は、風鈴の音色は江戸風情を思い浮かべる。



東海道中膝栗毛」やじさんきたさんの、作者の十返舎一九の作品

「諸国道中金の草蛙」に登場する歴史ある、飴屋で土産を購入した。

伝統的な和菓子かと思いきや、グミみたいな現代的なイマドキな味と食感なので

ナウなヤングのみらい三度笠にも、まろやかで美味しい。

お馬出しの辻

高田城 家康の六男 松平忠輝の居城として慶長19年(1614年)に建てられた。


デザインが独特なJR高田駅

雁木通リにある、旧今井染物屋 市が文化保存の為に所有する資料館。

この時点の道中は見学が出来ない事が多い。 

瞽女ミュージアム高田 盲目の女旅芸人の人生が分かるミュージアム

こちらの付近の上越本町七丁目が、北国街道と北陸街道の分かれ道である

北国街道追分となる。

北国街道の中山道追分宿から高田宿まで、約131kmの道中を終えた次は

北陸街道の自転車道中の始まりとなる。

北陸街道のここから中山道の合流地点の、鳥居井本宿まで約397kmの距離だ。

 

今回の道中は明日に糸魚川まで、北陸街道の日本海側を走って終了するので

今日は北陸街道の中屋敷宿の、直江津駅付近まで自転車道中をした。

北陸街道の宿場の中屋敷宿を通過する。高田宿から約4、13kmの距離。

高田と直江津が合わさって、現在は上越市と呼ばれる場所の加賀町にある加賀街道の

史跡説明の看板。かつては参勤交代など物流などで賑わっていた。

みらい三度笠の自転車道中では、はじめて御江戸東京から新潟上越市日本海まで

走破して眺めた居多ヶ浜ノ海は、自分の力で訪れたので感慨深い。

2020年8月の北国街道の自転車道中記は之にて、一件落着なり。

この道中の中山道合流地点までの続きは、先に書いてしまった2022年5月の

北陸街道自転車旅で完結します。














北国街道 自転車旅 中山道の追分宿から北国街道で高田宿までを行く  追分宿~善光寺宿 その1

 

 写真は2020年8月の北国街道の追分宿

 三歩を歩いて旅の記憶が薄れる、みらい三度笠は

2022年8月の北陸街道・北国街道の糸魚川宿~鳥居本宿の中山道の合流地点編を

忘れない内に先に書いてしまったので、時系列が前後してしまう。

本当は動画にするつもりだったが、最近は収益激減中と言われるYouTubeだが

収益化は見込めない状態の、再生回数のみらい三度笠の道Tube

(どうちゅうぶ)のYouTube動画の編集は、時間が掛かり採算も合わない。

煩雑で座りっぱなしの、缶詰め状態の動画編集は大変不健康だ。

そんなワケで2020年の8月の自転車による道中の北国街道の追分宿~高田宿編は

しっかりと動画撮影はしていたが、道中の時の気持ちや記憶も薄れ、大変な動画の

編集作業をする気力も薄れてしまい、制作の楽なブログ化をする事にした。

その為、動画撮影はしたが、ブログ用にあまり写真が無い状態だ。

サムネイル作りもメンドクサイ。

動画は映像によるインパクトが強いが、細かい文章を伝えるにはブログの方が良い。

前置きが長くなったが、此処から本題の道中の始まりです。

 2020年8月に開始した北国街道の道中を、中山道と北国街道の分岐点の

追分宿から高田宿まで約131kmを、自転車で道中に旅立った。

今回は分去れ道標の動画撮影はしたのだが、写真の撮影をしてない。

代わりに、動画の映像のモニーター画像の写真です。

この分別れで右の道が北国街道で左の道が中山道となる。

ここからは2020年8月の写真となります。これから再びみらい三度笠が中山道

鳥居本宿で合流したのは、約1年9か月後にこのブログに書いた北陸街道・北国街道の越後、越中、加賀、越前への道中の2022年5月の事であった。

シャーロック・ホームズ像がある。この場所はホームズの翻訳家の延原兼氏の仕事場に近かった。

ホームズで始まる、北国街道、北陸街道だけではないの通り名の謎解き道中が始まる。

影響を受けた作品は多く、江戸川乱歩、宮崎監督も携わった名探偵ホームズ、

江戸川コナンなど、日本の探偵物の作品に影響を及ぼした人気作品の始まりと言える。

などと書くと江戸時代の道の道中記ブログとしての、江戸時代の歴史考察の要素が薄い。

ここは、北国街道の分岐点の江戸時代の中山道に所縁のある、なんだ神田の明神下の

台所町に住む設定の銭形平次のように、道は時にはまがりもするが、かけてもつれた謎の北国街道・北陸街道や加賀藩参勤交代道、善光寺街道などや

(この写真は2020年11月の、佐渡ヶ島一周的自転車道中の写真です)

佐渡島の金山の金を江戸に運搬も行い、絹を横浜まで運び海外に輸出する道の謎を、

みらい三度笠に解けるのだろうか?実はこの時は調べたルートを正確に走ってるだけで

満足なので、後日に興味を持ち知識を吸収している状態だ。

今日は道中の開始から、ほぼ下りが続くペダルを漕がない自転車道中で気が楽だった。

だが、この日の最後はキツいヒルクライムが待っているのだ。そして夕方には周囲に

泊まれる場所も無い場所に到達する。さらに走り続け暗闇の中で旧道の走行は

可能だが、その区間の旧道の景色は夜で真っ暗で道中の発見を楽しめない。

江戸時代の宿場めぐり旅あるあるの、江戸時代の宿場町に行ったら、今は宿も無く

泊まれない!である。

仕方が無く宿泊地の為に峠越えで登った標高を、途中で放棄して旧道から外れる。

下界の宿に向かい下り、翌日また翌朝に再び戻り登る訳の分からない状態の、

道中となる日程だ。

追分宿から小諸宿へ向かうが、小諸城は立ち寄れず通過してしまった。

小諸と言うと江戸っ子には、都心の旨い立ち食い小諸そばを思い出す。

小諸宿 脇本陣 脇本陣の茶屋「粂屋」(くめや)はリフォームしてあり

泊まれる脇本陣で、食事も出来る。

この2020年8月は此処で写真をしていたら、親切な方が撮影をしてくれた。

 

小諸宿 本陣 国の重要文化財

追分宿から小諸宿まで約13,24km

田中宿に到着した。

途中に見学の出来る江戸時代の有名な力士の、雷電の生家があるそうだ。

田中宿は道路がバリアフリー化されて電柱は無く拡幅されて、かつての宿場の面影は

薄い。

脇本陣跡の高木屋があり、本陣は本陣門のみ残されている。

この道中の2020年の夏の頃は、ウイルスによる自粛で飲食店が休業で、

テイクアウトのおやきと饅頭で、昼飯代わりにしたが少々物足りない。

小諸宿から田中宿まで約9,24km

北国街道の宿場は浅間山の噴火や、河川の氾濫による甚大な被害を被っていた。

この時の道中で訪れた海野宿はこの時点で2020年8月だったが、前年2019年の千曲川の氾濫による甚大な決壊被害の、堤防の修繕工事の真っ最中であった。

現在は工事は完了した模様です。

次の海野宿に到着した。

海野宿は江戸時代は宿場として栄えたが、明治以降は宿場の宿の広さを利用して

養蚕の蚕種業に業態を変えて、当時は欧州など海外に蚕種紙など輸出して発展した。

ああ、野麦峠の小説、映画作品が創作されて、世界遺産の富岡製紙工場で作られた

製品が北国街道やその他の道で、集約地の江戸の八王子に運ばれ浜街道(八王子~横浜の港)で、日本の絹の道(シルクロード)から欧米などに幕末から海外に輸出された。

喜太郎の名曲のシルクロードに相応しい、その長い絹の道中の「シン・シルクロード」は、日本にもあった。


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北国街道は立派な宿場で江戸時代の造りの建物が保存されており、写真の右にある

二重の「越屋根」は養蚕の為の換気口です。その他宿場には繁栄の証の本卯建・袖卯達(うだつ)もあり、瀬戸内の海の岡山の倉敷を思い出す。

海野宿資料館が開いていたので、養蚕の産業と歴史や道具を見学をした。
揚羽蝶の家紋が有ったのだが、蝶は養蚕産業の象徴にも見えるが、

平家の清盛流と言う事なのだろうか。

養蚕産業は第二次世界大戦までは盛んだったが、化学繊維の台頭で隆盛を終えた。

世界的企業のトヨタも、養蚕産業の機織り機メーカーから、先を読み自動車産業

転身をして成功をしたが、世界情勢や化学技術や生産技術の向上で、基幹産業の移り変わりに上手く対応出来ないと繁栄は続かないが、歴史と伝統は見失いがちだろう。

田中宿から海野宿まで約1,18kmと近いのは当初、海野宿は間の宿だった為だ。

上田宿 北国街道沿いにある、第3セクターしなの鉄道大屋駅

信州大学繊維学部の敷地前を通過して、またおやきを買った。

信州で食べるおやきは旨いのだ。

上田宿は真田氏の街で、真田十勇士像が商店街に点在していた。由利鎌之介像

上田城は先を急いで立ち寄れず残念だった。

上田宿で暑いので、長門牧場のソフトクリームを食べた。

アハッ!実にミルキーだよ!美味かった。

海野宿から上田宿まで約7.86km

上田宿にある上塩尻から下塩尻の次の宿場である 間の宿 鼠宿 鼠宿跡の看板

松代藩の私宿で口留番所があり、人物や物資の取り締まりを行っていた。

松代藩と上田藩の藩境で、御茶屋など休憩所があり、旅人の憩いの場となっていた。

浦安のネズミーランドよりも、先に日本にあった鼠宿。

此処から上田藩の坂木宿に到着する。

北国街道でよく見る、越屋根、卯達(うだつ)の建物の造り。

北国街道沿いの刈屋原ミニパークから見た千曲川の河川。

これから、その千曲市の上戸倉宿、下戸倉宿に着く。

まだ下りが多く、自転車では実に楽な道中である。

上田宿から坂木宿まで約11.45km

坂木宿から上戸倉宿は約3,08km

上戸倉宿から下戸倉宿は約1,71km

動画は有るが写真が無いが、古い江戸時代の街道の風情があった。

下戸倉宿から矢代宿は約4,13km

写真無しの矢代宿から北国街道で千曲川の河川敷の堤防を通リ、しなの鉄道の青く長い鉄橋の掛かる踏切を越えると、丹波島宿に到着した。

鐘馗さん像(しょうき)は昔から邪気払い、防疫の為に鎮座している。

丹波島宿の家の屋根に飾られる。

犀川に架かる丹波島橋のモニュメントには、明治23年(1890年)8月に民間で

初代の木の橋の丹波島橋を、架けたと記載されている。

矢代宿から丹波島宿まで約14,58km

善光寺宿 和風の長野駅前に到着したが、私は電車では来た事は無い。

北国街道は善光寺街道と、言われる有名な参道であった。

栄えた善光寺の街並みの参道を通リ、日が暮れるまでに道中を続けた。

善光寺を過ぎると遂に登りが続く事になる。疲れた頃にハードな事はしたくないが

あきらめるしかない。

丹波宿から善光寺宿は約5,08km

善光寺宿の標高422mから登りが続き新町に入る。

新町宿で吉田を先に飯山街道分岐点の石碑がある。

善光寺宿から次の宿場町の新町宿は約4.38km

そして田子池を通過して約5km程の登って、本日の北国街道の自転車道中は

標高約580mのリンゴ畑の丹霞郷近くで終了した。

初日の1日目は上り坂の途中だが、北国街道と国道60号線(若槻大道り)の交差点で道中はおしまい。

8月と言えどもはや夕闇が迫り、この先も今回の北国街道の最大の標高のヒルクライムが続き宿もしばらく無く、暗闇の道中は景色も見えず面白くも無く危険なので事前に予約した宿に泊まる。しかし、21世紀に江戸時代の宿場巡りを趣味とすると宿場なのだが、困った事に現在は泊まれる宿が付近に全く無い事も多のが悩みだ。

初日の今日はスタート地点の追分宿の標高が高く、ダウンヒルで始まりその後、

標高約150mの間で登り降りを繰り返す、微妙にシンドイ自転車道中だった。

この場所の丹霞郷から眺める事が出来る、長野から新潟までに連なる

北信五岳の5つの内の、飯綱山の眩い夕日を浴びる。

最期は北国街道の折角の本日の獲得標高を、盛大に投げ捨てるかのような、

もったいない急こう配のダウンヒルで、信州中野IC付近までブレーキ掛け捲りで下り、適当に予約した為に約11kmも離れた宿に泊まった。

高い値段でも、宿がない場所もあると言う事だ。

宿の付近に巨大な牛の像があった。

晩飯は美味しい店を宿で聞けた。
次の北国街道の宿場は牟礼宿になる。

明日は野尻湖で、原始肉が食べられるかもしれない!?

こおろぎはウマイ!

 こおろぎはウマイ!ドカベンとか最高で、高級のり弁みたいな高級ドカベン

食べたい。主役でなくても脇役で添えても、73年物のこおろぎは歌がウマかった!

いい曲が多かった。

特撮アニメの歌をメイン、コーラスで歌っていた、こおろぎ73のグループ名は、

元は便所こおろぎだったが、グロイのでこおろぎ73に変更されたそうだ。

私は昆虫食は安心安全な日本伝統の、イナゴの佃煮すら無理だ。

 

 

2月3日は節分の日だが、ツノ娘が増え過ぎなので豆まきをした。

 今年は、はてなのお題にもならないが2月3日は節分の日である。

近年は鬼滅シリーズの新作アニメや、スパイファミリーのアーニャというツノ有

キャラに、チェーンソーマンのパワーというツノ有がキャラが登場して、本家の?

リメイク版うる星やつらの外星人の、鬼ごっこ娘のラムだっちゃまで放映されている。

これらの作品が溢れて溢れて止まらない状態も珍しい。

私はしっかりと、今年もキメツオーバードライブの呼吸法で福は内!鬼は外!と

煎り豆を部屋から玄関へ撒いたとさ。

あ、鬼女は外だが女性はカモーンです。

旧道☆北陸街道の自転車旅  完結! 中山道との合流地点の鳥居本宿まで行く その6 木之本宿から鳥居本宿への道中を完走!


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2020年5月に自転車で中山道追分宿より、北国街道を高田宿までを完走した。

まだ未発表の、その道中の話はYouTube化する予定だったが2年以上過ぎて

制作をする時間も無いので、このブログで今後に書く予定です。

その北国街道の高田宿までの道中から、約2年後の2022年5月に再開した

北陸街道の道中がこの記事となります。

前回からの続きの始まりです。

前日は朝から全力で走り夜の8時に木之本宿に到着という、きつい日程のお陰で

今日は余裕を持ち午前中には鳥居本宿に到着が出来る。

北国街道、北陸街道を中山道で繋ぐ旅も、約2年越しで遂に完走する事が出来る。

最終日の朝から、木之本宿を出発する。

此処は北国街道の鎌倉時代(約800年前)に十郎橋(寿老橋)という大きな石の橋が架かっており、栄えていたという石碑がある。

長浜宿はモダンに綺麗な街並みだった。木之本宿から長浜宿まで約17km

戦の時は道路の脇に、建物の陰に武者が隠れていた近江長浜の街。

10m間隔で道路脇に、武者の看板人形が隠れずに居ます。

旧中魚屋町通り。

江戸っ子のみらい三度笠には、西日本の商店街は古くからの商業地帯の歴史を

感じさせ興味深い。

黒壁スクエア近辺は、ガラス細工が名物となるレトロな街並みをモダンにリフォーム

した建物が多く、ゆっくり観光で見物をしたいがまだ開店前で店は閉まっていた。

北国街道を外れて、この案内板につられてヤンマーのボートを見学した。

北国街道の歴史で活躍した、北前船や琵琶湖の丸子船という船による物流が

主流だった江戸時代から、明治時代の近代化で鉄道や車に主流が変わっても

このカッコイイ船は長い水運の造船の歴史が、現代の造船技術に繋がると分かる。

今回の北陸道中終了後の写真です。これが琵琶湖を航行していた、丸子船の像である。

此処は米原駅で、かつて丸子船の船着き場の米原湊の跡だった。

そして北国街道の道中で、米原湊の歴史を理解出来る場所に着いた。長浜宿から米原宿まで約12km

何故か米原宿に北陸道中山道分岐点道標がある。本来は北陸道中山道との合流地点は摺針峠の峠越えで、鳥居本宿の前に米原宿で北陸街道と中山道の番場宿から合流する。

ここの米原宿での中山道との合流地点は、関ケ原の合戦の後に彦根藩

北村源十郎に工事を任せ、中山道番場宿から北陸道米原湊を結ぶ深坂道を工事をして慶長十六年(1611年)開通しその後、発展を遂げて人口増加で、米原宿が

天保十四年(1843年)に誕生した。

当時は美濃や尾張からの荷物を、深坂道で米原湊に集荷をして丸子船で大津から京都へ運搬された。

米原宿の石道標は旅館かめやの前にある。

そしてその先に進むと、未来三度笠の2020年5月の中山道自転車旅でも訪れたが

その当時は夜になり風景は闇夜の中を通過した、鳥居本宿の中山道北国道分岐点に2年ぶりに着いた。

こちらは中山道の番場宿から摺針峠を越えて、鳥居本宿で北国街道と合流をする。

米原宿から鳥居本宿まで約4,5km

ニホンザルの群れが居たが、ボス猿らしき猿は群れが茂みに隠れるまで

こちらを見ていた。

遂に2年越しで、中山道追分宿から北国街道、北陸街道を走破して

再び鳥居本宿で中山道に戻る道中を完走出来た。

ハンドルの右ブレーキ下の折れかかった状態も、なんとか耐えて折れなかった。

今回は未知の道中で、知らなかった日本海側の多くの海運、水運の江戸時代まで主流の

文化や歴史や知識を、知る事が出来た事が大きな収穫の道中だった。

鳥居本宿の文化財指定されている有川薬局(赤玉神教丸本舗)江戸時代から下痢、服痛などに効く赤玉を販売している。

 

この倉庫の扉は鳥居本本陣の、名残の門扉とのこと。

これは、中山道から数えた場合の宿場の番号だ。

北国街道高田宿から鳥居本宿まで約380kmが今回の2022年5月の道中の

おざっぱな距離。以前の2020年5月の始まりの北国街道中山道の分岐点の

追分宿からゴールの鳥居井本宿だと約540kmだろう。

文化財指定されている、近江鉄道鳥居本駅

これにて一応おしまい。そしてこの日はまだ終わらない新たな道中の続きが始まる。


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北国街道、北陸街道を中山道と繋いだ道中の続きは、もう少し先に書きます。